- 飯山一郎「批評」 Part4
163 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/12/01(日) 20:17:51.44 ID:ncuYt6ss - こたつぬこ
しかしながら、安富氏のこの分析は、山本太郎のカリスマ支配についてあえてかスルーしている。 この「運動」はリゾーム型の、諸個人の自己決定を喚起するものにはなっていない。 あくまでカリスマに寄り掛かった大勢順応的な運動。 カリスマが消えたらまたたくまに崩壊する。 https://twitter.com/sangituyama/status/1200903110400438272 こたつぬこ もちろん。令和は野党ではありません。 与党でも野党でも、維新的ゆ党でもない、特有のカテゴリーです。 それが日本にでてきたから注目しているわけです。 https://twitter.com/sangituyama/status/1132128848084996096 --------------- れいわ新選組のカオス的な原動力がどーたらこーたら 「特有のカテゴリー」というのはそうなんだ。 だけどカリスマとカリスマ依存症みたいな話ではない。 れいわ新選組は、既存政党、及び大衆の中にあって自己決定を促す触媒として存在している。 それは時代の移行の触媒だから、革命、ということになる。 新自由主義から次の時代へ。 れいわ新選組は山本太郎のトップダウンだが、それもまた触媒であり、自己決定プロセスの始まりだ。 現状で、それは組織的な縛り無しで機能している。 時代の移行の中でれいわ新選組もまた変化するだろうが、それは立憲民主党次第だろう。 触媒としての資格は、資本主義の根本矛盾に向き合う主体を促すこと。 これがポピュリズムということだ。 れいわと日本共産党は多くの点で重なっているが、れいわにあって共産党にないものがこれ。 れいわと共産党は補完的な関係にあり、野党共闘の基本形となっている。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
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