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名無しさん@お腹いっぱい。
低リテラシー愛国主義者(ネトウヨ)が生まれた背景と対策を議論しよう★2

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低リテラシー愛国主義者(ネトウヨ)が生まれた背景と対策を議論しよう★2
47 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/14(木) 08:23:20.25 ID:Wan4ym0Z
「保守派にはバカが多い、は本当だった?」宗教を信仰する人、とりわけ右翼権威主義者は 自身の知性を過信する傾向にあることが明らかに
2018/06/01 20:14
http://caramelbuzz.com/4184/
信仰心の高い人々、その中でも右翼権威主義者は、自身の知性を過信する傾向にあるという研究論文が、海外掲示板で話題になっています。

「宗教信仰」と「自分の知性についての謙虚さ(の欠如)」の関係をさぐったこの研究、2つの間に相関関係はみられたものの、
それほど強いものではなかったそう。ところが、宗教心があるグループの中でも特に「右翼権威主義者」に限定すると、非常に
強い相関がみられたとのこと。

ちなみに、「自分の知性についての謙虚さ」とは「自身の知性に限界があることを意識し、自身のエゴによる偏見を客観視できる」
能力のこと。平たく言えば、自分が強く信じていることであっても間違っている可能性はある、と認めれる能力です。

302人のアメリカ人を対象に行われたテストでは、規範意識の高さ、他者や型破りな人物への不寛容といった「右翼権威主義」
的な要素は、全て「知的謙虚さの欠如」とも関連していことが明らかになりました。そのため、論文は「知的謙虚さの欠如」は
「宗教心」と緩い相関があるものの、「社会政治的態度」のほうが遥かに強い相関を持っている、と結論づけられています。
低リテラシー愛国主義者(ネトウヨ)が生まれた背景と対策を議論しよう★2
48 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/14(木) 08:28:32.35 ID:Wan4ym0Z
記事では「知的謙虚度」(Intellectual Humility)がどのようにして計測されたか書かれていないけど、誰か分かる人いる?

↑4つの指標を用いて測っているようだ。
1.知性とエゴを分けることができる
たとえば、自分が個人的に信じている事を否定されたら「個人攻撃を受けた!」、と感じる人はこの能力が低い。
2.自己の意見を柔軟に変えることができる
3.他人の意見を尊重することができる
4.自分の知性を過信しない
自分が自信満々に信じている事については、それが間違っている可能性は限りなく低い、と自動的に考えてしまう人は、この能力が低い。

↑自分の信念について「論理的な反論」を受けた場合にどう反応するか、を表す指標なんだ。
「自分が間違っていた」と素直に認めることができるか、「いや、そんなことはあり得ない。お前が間違っている」と反応してしまうか、の違い。

↑宗教を信じている人はだいたい後者じゃないかな?
事実ではなくて、信念に基づいてなにかを信じるのが宗教でしょう。
そして、それを否定する人間に対しては「異端者」のレッテルを貼る…。
だから、この調査結果は当然だと思う。

「保守」そのものが「知的謙虚さ」とは対極に位置するものだと思う。
論理や科学的根拠ではなく、「今までこうだったから」という理由だけで、ある政策や組織に高い位置付けを与えるのが保守の連中だからね。
保守的な人は、「変化」には大きな代償が伴うと考えがちで、たとえ合理的な反論があっても必要以上に懐疑的になる。
知性的な人はエゴに縛られない。
自分の間違いを認め、考えを改めれなければ、そもそも知的に成長することは不可能だもの。
低リテラシー愛国主義者(ネトウヨ)が生まれた背景と対策を議論しよう★2
49 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/14(木) 08:28:55.93 ID:Wan4ym0Z
「保守」そのものが「知的謙虚さ」とは対極に位置するものだと思う。
論理や科学的根拠ではなく、「今までこうだったから」という理由だけで、ある政策や組織に高い位置付けを与えるのが保守の連中だからね。
保守的な人は、「変化」には大きな代償が伴うと考えがちで、たとえ合理的な反論があっても必要以上に懐疑的になる。
知性的な人はエゴに縛られない。
自分の間違いを認め、考えを改めれなければ、そもそも知的に成長することは不可能だもの。

勘違いする人がいるといけないからいっておくと、記事の主張は…
1.右翼権威主義者は宗教信仰が深い傾向にある
2.右翼権威主義者は知的謙虚さが低い傾向にある
であって、
3.宗教信仰が深い人は知的謙虚さが低い傾向にある
では無いよ。
あくまで、宗教と政治が結びついた場合にのみ、知的謙虚さとの相関が見られるということ。

「宗教心が深い」といっても色んな形がある。
たとえば、信仰心が厚い人が、必ずしも個人の行動の善悪を神の意思で判断する訳ではない。
でも、宗教心が深い人たちの中のある集団、この研究によれば「政治的保守派」、に焦点を当てれば、特定の傾向が見られるってことだね。

この考え方には賛成だ。
自分は無神論者だが、全ての宗教が神の意思に善悪を委ねるわけではない。
この研究で対象になった「信心深い」人たちは、委ねてそうだけどね。

権威主義的な性格は「宗教的原理主義」と相関している、という論文記事を読んだことがある。
逆に、伝統的な教義に従うのではなく、自分で求道し問いかけを続けるタイプの宗教者は、無宗教者と比べても、「権威主義的」な傾向が低いそうだ。

そもそも「右翼的権威主義(Right-wing Authoritarianism)の右翼は、政治的右翼のことではなくて、「既存のやり方や権威に従う傾向」のことを指している。
つまり、「右翼的権威主義」な左翼だっているって訳なんだ。
現在では、ほぼ絶滅していて、権威主義=右翼だけど、東ヨーロッパには一部、権威主義的左翼が残っているらしいよ。

「自分と異なる考え方を許容する」というけれど、現実にこうあることは難しい。
新しい考え方や情報だったら喜んで耳を傾けるんだけど、大半の人は古い時代遅れの議論を繰り返すだけ。


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