- 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
135 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/10/13(金) 19:39:43.36 ID:u+Gke7cs - 朝鮮半島と西日本は(扶余→)百済系で一体的であったが、
他方で北日本経由で扶余→高句麗系が入ってきた。 高句麗を重視した聖徳太子、百済救済に熱心ではなかった蘇我氏、鹿島神宮の神官であった藤原氏。 彼らは遊牧騎馬民族が崇拝したミトラ教、ゾロアスター教的なものを日本に持ち込んだ。 栗本慎一郎「ゆがめられた地球文明の歴史」〜遊牧騎馬民族によってつながる世界史 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=267119
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- おちんぽ大将軍とともにイルミナティと戦おう★14
132 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/10/13(金) 20:46:55.34 ID:u+Gke7cs - 正恩って、当初はさすが天皇家や朝鮮王室の血を引くとされるだけあって
ものすごく頭良さそうな顔してたのに、途中から何かニコニコしてるだけのちょっと アホそうな顔に変わった どう考えてもあれ別人で影武者 本人は殺されたか幽閉されたかって考えるのが普通
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133 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/10/13(金) 20:48:16.88 ID:u+Gke7cs - >>131 それいろいろなところに貼られてるコピペやで
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136 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/10/13(金) 21:43:11.49 ID:u+Gke7cs - エサウは旧約聖書、ヘブライ語聖書『創世記』25章〜36章に登場する伝説上の人物。父はイサク、母はリベカ。
双子の弟ヤコブが自分に与えられるはずだった長子の祝福を横取りしたことからこれと争ったが、やがて和解した。 エサウの子孫は増えエドム人と呼ばれるようになる。 北海道のアイヌ民族はエサウの一族の末裔で、アイヌ民族の別名蝦夷(エゾ)はエサウに由来すると言う俗説がある https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%82%A6 えーそうなの?
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137 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2017/10/13(金) 22:44:15.41 ID:u+Gke7cs - >>134
日本で皇族から臣籍降下した一族に源氏がおり、清和源氏とか村上源氏とかが有名であるが、 源氏の称はさかのぼると中国起源だったりする。 中国最初の源氏は源賀という人で、もとの名は禿髮破羌といった。禿髮?檀の子にあたる。 禿髮?檀は五胡十六国のひとつ南涼の最後の王で、西秦の乞伏熾磐に滅ぼされた。 ?檀が殺されると、子の禿髮破羌は北魏に逃れた。北魏の太武帝は「卿と朕とは同源である。 区別するために姓を分け、今から源氏とすべし」といって、禿髮氏に源氏を名乗るよう命じた。 南涼の禿髮氏と北魏の拓跋氏は、鮮卑のうちでも同族の出で、禿髮も拓跋も同じ音を漢字に写したものとみられている。 源賀はのちに北魏の太尉・隴西王に上った。子孫の源乾曜は、唐の玄宗のもとで宰相に上っている。 宣和堂宣和堂 2006/09/25 00:10 皇族の姓を元氏にしたので、同祖の禿髪氏も音通の源氏にした…とかそう言う話でしたっけ? nagaichinagaichi 2006/09/25 01:25 拓跋氏が元氏を称したのは、北魏六代孝文帝のときの太和二十年(496)で、禿髪氏が源氏を称したのは、 三代太武帝のときなので、正史を素直に読むと源氏のほうが成立が早いはずです。 「皇族の姓を元氏にしたので、同祖の禿髪氏も音通の源氏にした」という逆順の話ですが、 僕も聞いたことはありますので、そこらへん何かありそうな気はします。 http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060924/p1
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