- 『新世界秩序』H.G.ウェルズ『解放された世界』
75 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/14(水) 20:36:43.62 ID:V6dHyb0R - 「1942年には、日本はその長い歴史の中で唯一の対外債務デフォルトを
起こしたし、戦後インフレの際には、日本のインフレ率は最高で568%に 達した。」 「1992年から始まった日本の『失われた10年』が特異なのは、アジアを 始め多くの国の危機のようにリセッションが著しく深刻であるとか、失業率 が急上昇したということではなく、力強い回復がまったく認められなかった ことにある。」 「だが興味深いことに日本の『失われた10年』の全体像は、本書でも示すよ うに、金融危機前後の年に多くの国が経験したこととさしてちがわない。 民間の借り入れの大幅増と資産価格の急上昇に続いてマクロ経済の破綻と 政府債務の急拡大が起きるのは、どれもきわめて典型的な症状である」 「今回はちがう」シンドロームによるバブルの生成とその崩壊を契機に、 銀行危機、通貨危機、インフレ危機を経由して対外債務・対内債務のデ フォルトを引き起こしてきたのが金融800年の歴史。 本書は、さまざまな形をとって起きてきた金融危機を数字で綴る歴史の本である。 私たちがこの本で伝えたいのは、「これはいつか来た道だ」という一言に尽きる。 最近の金融狂騒曲がまったく新種のように見えるとしても、 いやどの危機もかつての危機とは異なるように見えるとしても、歴史を遡り、 また世界を見渡せば、たいていは過去の危機と驚くほど似通っていることに気づく。 前例を知り類似性や共通性を知っておくことは、将来の危機発生リスクを抑えるうえでも、 また不幸にも危機が発生した場合に賢明に対処するうえでも、 世界の金融システムをよりよいものにする第一歩と言えよう。
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76 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/12/14(水) 22:32:59.88 ID:V6dHyb0R - ここで太田龍氏のことも書いておく。私は今でもそう思っているが、太田龍氏は陰謀論分野の第一人者という一般の評価はもちろんのこと、
現代日本の最高の知性だったと思っている。そして、本当に純粋に真実を追い求めた人間であったことは間違いない (金儲けで本を売っていたわけではないという意味である)。だが、彼には致命的な欠陥があった。人間というものがまるでわかっていなかったのである。 それが2008年の冬至の頃、私が太田龍氏と決裂した原因である。2008年12月のある日、デーヴィッド・アイク日本版のブログに、突如、閉鎖予告が掲載された。 ニューズ・レターの大半の翻訳を協力している私に、何ら事前相談なく、私は一般の閲覧者と同じように知ったのである。 私は単純に驚き、太田龍氏に電話して事情を確認した。確認結果は本当に悲惨だった。アイク日本版の技術面担当ということでブログ管理をしていた男が、 ボランティア活動の実費と称して太田龍氏にたかっていたのだ。新しいパソコンも太田龍氏に購入させたと聞いた。度重なる「実費請求」に資金的に継続できなくなり、 やむなく閉鎖することにしたというのが太田龍氏の説明だった。太田龍氏はパソコンを使わない(使えないというより、思想的に使わなかったのだと思う)ので、 その分野には無知だった。その無知につけこめば、いくらでも「実費請求」できるわけだ。
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77 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/12/14(水) 22:34:26.98 ID:V6dHyb0R - それで、太田龍氏は、別のホームページ(ドメイン)を作成して出直そうかなどと、弱々しいことも言っていた。
「あなたの名前でやっているサイトを乗っ取られて、放置していてはいけないでしょう」と私は言った。さらに 「ブログ管理も翻訳も、すべて私が一人で引き受けるので、それなら継続できるでしょう」と提案し、 太田龍氏はそれで良いと承諾した。それから私は「実費請求」男とやり取りして、サイトの管理パスワードを 取り戻すとともに、電話の翌日、わざわざ東京の白山まででかけ、太田龍氏に会って今後のことを話した (交通費は自己負担、コーヒー代は太田龍氏が出してくれた)。その場にいたのは、私と太田龍氏の他、 「秘書」的な動きをしていた女だけである。そして、変更したパスワードを太田龍氏に知らせ、 今後は私がすべてやりますと約束したのである。私に事前相談なく閉鎖を決めたことに関しては、 太田龍氏から謝罪があったので、私はそれでよしとした。ここまではよかったのである。 しかし、それから数日もしない内に、ブログを更新しようとすると、ログインできなくなっていた。 私が設定したパスワードを、誰かが勝手に変えたのである。それ以来、私は太田龍と決裂し、 彼も時事寸評でいかにも私が妨害したような書き方をしていた。 それ以来、私は太田龍氏には会ったことも、連絡を取ったこともない。時事寸評によれば、 私と決裂した直後から体調が急激に悪化し、半年もしない内(2009年5月19日)に亡くなったようである。 誤解のないように言っとくが、私は何もしていない。ただ、激怒しただけである。
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