- 今回の尖閣は船長釈放してなかったらどうなってた
160 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/09/29(木) 18:35:05.94 ID:AKokcqAL - 雪斎氏が評されているように、「村山談話」は「日本の盾」として機能してきた。
歴代政権は「村山談話」を踏襲することで、アジア諸国の疑念をある程度払拭することができる。 言い換えると、「村山談話」を踏襲し、他のアジア諸国からは理解を得ているのに、 中国や韓国が何かと理由をつけて日本に「謝罪と賠償」を要求してくる場合には、 逆に中国や韓国に外交的野心があるというリトマス試験紙にもなる。 右翼イデオロギーからすれば、いかなる「謝罪」も認められず、村山首相は「売国奴」ということになるのだろうが、 現実的に「戦後」を乗り越えるには、イデオロギーだけではやっていけない。 「村山談話」は単なる「謝罪外交」ではなく、国益に資する「責任ある謝罪外交」と言える。 一方、「菅談話」はただの「謝り損」で、「謝罪外交」にすらなっていない「無能外交」である。 菅政権ではさらに靖国参拝閣僚ゼロという「謝罪外交」も行ったが、こちらも尖閣事件が起きたことで、同じく「謝り損」となってしまった。 なお、尖閣事件では、菅政権は「弱腰外交」と批判されたが、ここにも誤解がある。 「現実主義者ぶる無能者を排除せよ」Link にも書いたように、菅政権は「弱腰外交」にすらなっていない「無能外交」だった。 本当の「弱腰外交」なら、早期に火消しをして、中国にカードを切る余地を与えない。 2004年3月の尖閣不法上陸事件で小泉政権が行った火消しこそ、「責任ある弱腰外交」である。 対する菅政権は、何の目算も戦略もなく最初は強気に出ることで、中国にカードを切らせた。 その後、中国の出したカードにビビり、ゲームを降りてしまったのだから、まさに「無能外交」と言うほかない。 http://miyajima.ne.jp/index.php?UID=1309354449
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