- ユダヤの最上層部は宇宙生命体かその憑依【6】
494 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/05/04(水) 19:47:32.62 ID:LIpcuQCW - 教義を管理する組織が腐敗するリスクを持つのは構成要因が人である以上避けられない。
それは人類が宗教を必要とする欠けの有り、それを自覚し希望を求める存在であることの徴でもある。 超越であり創造主たる人格神への直観と畏敬が民族、国境、時代を越えて人類にそなわっていると私もおもう。 街で自動車を見かけたら神なき自己組織化現象の発露でなく、製造した自動車メーカーの存在を確信するように、 自己の存在自体と自己の認識対象を知り尽くし得ないときに人が創造主を直観するのは自然なこと。 その普遍性が良心の存在の根拠であり、良心が暗黙知や慣習を含む法の構築を促してきたのでは。 人は、創造主なる神を知りつくすことはできない。存在を直観し畏れ讃美することはできるけれども超越であるから。 そもそも人が何かを知り尽くすことのできる対象は限定される。 神の側からの啓示がなければ超越である神に関する新たな知識や認識は得られない。 啓示する人格神であるとき、人の開かれた心が神へ向くとき、神からのアクションとの相互作用によって人の神認識が変わりうる。 このことは歴史にも影響した。神が超越であり啓示する人格神であるから啓示された集団から教えが広がったのでしょう。 歴史に神が介入し啓示されなかった文化圏で啓示された集団の持つ情報が届いていないければ神認識が異なるのは必然。 神の測り難さ、知り難さ、識りえないことの自覚はたとえばパウロはコリント人への手紙第一の一章に書いている。 教父だとクリュソストモスがこの箇所から、ニュッサのグレゴリオスはモーセが山の頂き密雲の暗闇で十戒を受けた記録から 神の不可知性、到達不可能な神の知恵について言及している。それらは神からの啓示、心を神に向け開けることが可能な 能力を持つ人間の特性と表裏一体の関係にあるとおもう。
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