- 『中国低国』の卑しさについて
107 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/01/15(土) 00:01:44 ID:VBMqB+nr - 【正論】年頭にあたり 評論家・西尾幹二 中国恐怖症が日本の元気を奪う
ttp://sankei.jp.msn.com/economy/finance/110112/fnc1101120308000-n1.htm ◆古代中国幕閉じ、日欧が勃興 古代中国は確かに、古代ローマに匹敵し、周辺諸国に文字、法観念、高度宗教を与えた。だが、古代両文明は そこでいったん幕を閉じ、日本と新羅、ゲルマン語族が勃興(ぼっこう)する地球の文明史の第二幕が開いたと 考えるべきである。漢、唐帝国とローマ帝国は没落し周辺に記憶と残像を与え続けたが、もはや二度と普遍文明 の溌剌(はつらつ)たる輝きを取り戻すことはなかった。 ことに、東アジアではモンゴルが登場し、世界史的規模の帝国を築き、中国は人種的に混交し、社会構造を 変質させた。東洋史の碩学(せきがく)、岡田英弘氏によると、漢民族を中心とした中国民族史というものの存在は 疑わしく、治乱興亡の転変の中で「漢人」の正体などは幻と化している。 現代のギリシャ国家が壮麗な古代ギリシャ文明と何の関係もないほどみすぼらしいように、現代の中国も 古代中華帝国の末裔(まつえい)とはほとんど言い難い。血塗られた内乱と荒涼たる破壊の歴史が中国史の 正体である。戦争に負ければ匪賊(ひぞく)になり、勝てば軍閥になるのが大陸の常道で、最強の軍閥が 皇帝になった。現代の“毛沢東王朝”も、その一つである。 ユーラシア大陸の東西の端、日本列島とヨーロッパはモンゴルの攻略を免れ、15、16世紀に海洋の時代 を迎えて、近代の狼煙(のろし)を上げた。江戸時代は17世紀のウェストファリア体制(主権国家体制)に ほぼ匹敵する。日本とヨーロッパには精神の秩序があり、明治維新で日本がヨーロッパ文明をあっという間に 受け入れたのは、準備ができていたからである。
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