- 日本人は外交下手
270 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/12/25(土) 17:29:46 ID:MPN1LvGV - 【歴史】「日本人とはみな小男なのか」→「閣下の如き大男はいるがみな愚鈍」…政府の面々は、小村寿太郎の爪の垢でも煎じて飲め[12/16]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1292498513/ 87 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 11:34:50 ID:rfifaxXD 日本政府はハリマンの満鉄共同経営の申し出に乗らんとしたが ポーツマスから帰朝した小村が断固反対して遂に白紙に返した。 1909年には、ロシアと日本とが一緒になって 米国務長官ノックスの満鉄中立化案を拒絶する。 この経緯に米国政府は面白いはずがなく、カリフォルニア州で日本人移民が排斥される伏線となった。 この時の日本の決定を非難する者は、要するに米国と共同で満州を経営していたなら、 その後の歴史は違っていたろう、というのみ。確かに違っていたろう。 が、それは、日本が米国に完全に屈伏する日がより早まるだけの違いであった。 小村は、この時ばかりはまるまる正しいのだ。 当時の清国の鉄道は、土地は清国のものでも、沿線の土地はほとんど 敷設国の国土と化し、ターミナルはほとんど「植民市」の様相を呈していた。 大連やハルビンなど、旧ロシアが鉄道沿いに建設した満州の大都市がロシアの街そのもので あることを見たなら、誰でも分ることであった。 すなわち中国大陸における鉄道事業とは、戦争なしで領土を拡げることに他ならなかったのだ。 利口なウィッテは対外戦争などという金ばかりかかる手には反対で、 この鉄道外交のみで遂には清国を支配できると目算していたといわれる。 考えて見よ。もし日米で、ロシア抜きの満州鉄道経営に乗り出したとしたら、 必ず今度はロシアだけでなく、イギリスも、妨害や嫌がらせに乗り出したことであろう。 そもそも列強による清国分割は、ドイツによる膠州湾占領から露骨となったものだが、 始めソールズベリは、それが対ロシア牽制になるという理由で、黙認していた。 しかしドイツが租借地を排他地域にしようとしていることが明らかになるや、 手の平を返したのである。
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