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名無しさん@お腹いっぱい。
225
日本人は外交下手

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日本人は外交下手
225 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/11/05(金) 17:59:26 ID:zCd9Rn4B
西村真悟ホームページ・眞悟の時事通信
尖閣棚上げ打診に、マッカーシーを想い出した
ttp://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=560
 本日の朝刊に、「中国『尖閣棚上げ』打診」とあった。
 この見出しを見たとき、奇妙なことに、マッカーシーを想い出したのだ。
  はて、「棚上げ」打診とは。また同じ手を使うのかと思ったが、相手は、日本がそれに乗る可能性があるから
ぬけぬけと提案してきている。
 事実、考えてみれば、ケ小平に尖閣を「棚」に上げてもらってホットしてから(昭和53年)、一貫して日本人を
尖閣に近づけないようにしてきたのが日本政府だ。その理由は、尖閣は「棚」に上がっており、中国を刺激しては
いけないということだった。
 つまり、日本政府は、以後三十年以上、尖閣は棚に上がっているという前提で、中国の動向(軍備増強)を
見ぬふりをして「戦後の安楽」を貪っていたと言える(自国の領土を棚に上げてもらって安心する馬鹿が
日本政府以外どこにおるのか)。
 この前提から、九月八日以来の事態を観れば、同日未明の中国船長逮捕は、日本が、政府ではなく
尖閣の現場でいよいよ尖閣を棚から下ろし始めたということになる。

 では、菅内閣が、尖閣が棚に上がっていくのをホットしている時に、何故中国が「棚上げ」を再度打診してきたのか。
 それは、明らかに念押しである。
 そこで、何故中国は念押しを必要とするのか。
 それは、日本国民の動向が、今までと違うからである。
明らかに、日本国民は、中国の本質を見抜き始めた。つまり、もう、日本人は「日中友好」に騙されない。目覚めた。
 この日本国民の目覚めを街頭ではっきりと顕し、日本以外の全世界に報道されたのが、十月二日と十六日の、
頑張れ日本主催の街頭デモと集会であった。
 この今までにない、日本国民の行動に接して(反応して)、
中国は、「棚上げ打診」という念押しの必要性を感じたと私は観る。
日本人は外交下手
226 :225[sage]:2010/11/05(金) 18:00:32 ID:zCd9Rn4B
 アメリカ上院議員のマッカーシーは、昭和二十五年二月(一九五〇年)、国務省のなかに二〇五人の共産主義者
がいると演説し、以後アメリカ社会に「赤狩り」が始まった。
 歴史を振り返れば、マッカーシーの指摘は正しかった。
ルーズベルト政権には、二〇〇名以上の共産主義者(フロント)が入り込んでいたと言われている。
 第一、日本を日米開戦に追い込むための最後通牒であるハルノートを起案したハリー・ホワイトは、
共産主義者(フロント)であり、その後出世したが、赤狩りに際し自殺している。
 マッカーシーの指摘は、前年の中国共産党政権の誕生とソビエトの核実験成功という危機意識を背景に為された。
 その中国における共産党の勝利は、アメリカが国民党に対する援助を大幅に削減したことが大きな要因となっている。
その援助削減という措置を実施したのが国務省内の共産主義者だとマッカーシーが指摘したのである。
 マッカーシーの指摘は、アメリカが自己点検を始める機会となった。これは、その歴史段階における意義ある
自己点検として評価されねばならない。この点検があった後の歴史において、アメリカはソビエトとの冷戦に
勝ったのだから。
 そこで、現在の歴史段階にある我が国の自己点検であるが、民主党内閣というこれほどの政治空白的痴呆的
惨状を見せつけられれば、心ある国民は、自己点検の必要性を感じざるを得ないだろう。
 如何なる、自己点検か。
それは、我が国の政界、官界、マスコミ界、財界において、中国から「人の欲望を満たすもの」の提供を受けた者が
何人いるかである。この際、中国に買収された者は、何人いるか、つまり中国という複合体に汚染された者、
これを点検する必要がある。
日本人は外交下手
227 :225[sage]:2010/11/05(金) 18:01:13 ID:zCd9Rn4B
 また、平成二十年四月二十六日の北京オリンピック聖火リレーが行われた長野市で実証されたことは、
中国人留学生は中国大使館の指令があればすぐに便衣兵に転じて対日破壊行動をとるということであるが、
我が国はこの留学生(便衣兵)に何故破格の援助(月額十五万円)をしているのか。
 広島の山中で山林作業をしながら島根県立大学で学んでいる親しい若者が言っていた。
「田舎の農山村の人たちは、現金収入はよく働いて月十二万円ほどです。しかし、近くの大学には、
中国人留学生がわんさといて月十五万円の奨学金をもらって、大きな顔をして楽しんでいる」
 島根の地域社会と大学のことを例に挙げたが、点検すれば、我々のまわりに、中国人が増えてきて、
おかしいなと思うことが多くあるのではないか。
 きりがないので止めるが、日本にいる個々の中国人の背後には、中国共産党が独裁者として、
本国で彼らの家族を支配しているということを忘れてはならない。つまり、中国人とはノーベル平和賞を
受賞した劉暁波のように、牢屋に入っている者を別にすれば、すべて中国共産党のコントロール下にあるのだ。
日本人は外交下手
228 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/11/05(金) 18:03:59 ID:zCd9Rn4B
ジョージ・F・ケナン
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1067694901/19
http://mimizun.com/log/2ch/whis/1067694901/
米国はいまや、一世紀を超す中国との接触および関与の歴史を持っている。その記録は
さほど米国にとってかんばしいものではない。商業的もしくは個人的利益という動機が、
表面に掲げた信仰、政治上の利他主義の動機と、あまりにもしばしば混在してきたのだ。
中国人と広く付き合った米国人の態度は、いわれなき極端な冷笑主義から、保護者ぶった
感傷主義までさまざまである。そこに住んだもののなかには、中国的環境の中での外国人
の生活につきものの種々の楽しみによって、ひそやかに堕落するままにいたものも多い。
そして中国人も(責めることはできないが)この堕落をすすめ、上手に利用する術を
心得ていることを示してきた。むろん目立った例外もある。しかし全般的に言うならば、
毛沢東以前の数十年間、個々の米国人と中国人の接触は、双方ともあまり自慢できる
ものではなかったし、互いにさほど有益だったとはいえないのである。

(アメリカ外交50年より)
日本人は外交下手
229 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/11/05(金) 18:05:10 ID:zCd9Rn4B
>>149-150

日華事変
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/nikkajihen1.html
 日華事変は北京の南に流れる蘆溝河に架かる蘆溝橋で日本とシナの軍隊が衝突し、やがてシナ全土に
戦線が拡大していくのですが、最初に闇討ちを仕掛けてきたのはシナのほうです。蘆溝橋の近くで日本軍が
夜間演習をしていると暗闇から銃撃され、さては国民党軍が撃ってきたのだと判断し、やがて戦闘が始まってしまった。
 ところが撃ってきたのは国民党ではなく、もちろん日本軍でもなく、じつはシナ共産党のスパイであったことが
今では定説となっている。共産党員の兵士向けのパンフレットに『蘆溝橋事変はわが優秀なる劉少奇同士の指示
によって行われたものである』と自慢した記述があった。
 間違いなく蘆溝橋事件は毛沢東ひきいる共産党軍の謀略だった。当時の共産党軍は国民党軍との内線に
連敗につぐ連敗で、次々と活動拠点が奪われていった。そこでこのじり貧状態を打開するために国民党軍と日
本軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたわけです。
 狙いは的中したということになりますが、まもなく一週間ほどで国民党軍も日本軍もどうも様子が変なことに
気付いて銃撃戦はいったん沈静化し、日本軍は事件不拡大方針をとり現地協定を成立させる。
 しかしそれから3週間後に北京東方の通州という町でシナ保安隊によって、残忍きわまりない手口で、
日本人居留民約260人が虐殺される事件が起きた。その『通州虐殺事件』は戦後の教科書はもちろん歴史年表
にもマスコミ報道にも出てこない。まるでタブーのようになっているが、本当にあったことです。これで当時の
日本の世論は激怒します。


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