- お前等分かってると思うが中国人経営の店に入るなよ
112 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/10/23(土) 07:30:31 ID:sh9USAxf - ■盧溝橋事件発生から3週間後の1937年7月29日
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■ 女性は強姦されて陰部にほうきを刺されて殺害されている者、喫茶店の女子店員の 生首がテーブルの上に綺麗にならべられていた、斬首した女性に対する死姦、 腹から腸を出されて殺害されている者、針金で鼻輪を通された子供など、 日本人の倫理観から見て殺され方が極めて異常かつ残虐であったため、 この様子が同盟通信を通じて日本全国に報道されると日本の対支感情は著しく悪化した …「通州事件」 …1… ▲当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、 30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。 「旭軒(飲食店)では40から17〜8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出 したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。 商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き 回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」 まさになぶり殺しではないか。 ▲中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を 務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。 「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙が かけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされた らしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。 陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。 帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。 女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。 折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。
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