- 日本人は外交下手
186 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/23(土) 17:13:45 ID:VTXNg2q5 - チャーチルが愛した日本 (PHP新書) [新書]
関 榮次 (著) 出版社: PHP研究所 (2008/3/15) ttp://www.amazon.co.jp/dp/4569693652 ttp://books.google.co.jp/books?id=Gveczs87LnsC&pg=PA117&dq=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC 【週末読む、観る】(3)『チャーチルが愛した日本』大きかった母の存在 (1/4ページ) ttp://sankei.jp.msn.com/culture/books/080427/bks0804270917004-n1.htm 【著者に聞きたい】『チャーチルが愛した日本』(PHP新書・756円)関榮次さん 《大きかった母の存在》 外交官だったころ、英国の宰相、チャーチルの文書や発言録を読むたび、「どうしてこんなに日本に対して寛容なの だろう」と感じたという。 例えば、ポツダム宣言の受諾に至る昭和20年の夏。 「チャーチルは日本が受諾しやすいよう配慮した修正案を出した。軍の立場をおもんぱかったという以上の親近感 にふれて、不思議でした」 『チャーチルが愛した日本』を読んで ttp://www.gfj.jp/cgi/m-bbs/contribution_history.php?form%5Bno%5D=654 ウィンストン・チャーチルといえば、1940年から45年まで英国の首相を務め、ルーズヴェルトやスターリンとともに 連合国を勝利に導いた指導者として有名であるが、私はこの人物に対し、最近まで偏見を抱いていた。 それは、ある対談(『吉田健一対談集成』小沢書店、25頁)のなかで、吉田茂元首相が、チャーチルについて 「あの人は日本が嫌いだというから、わたしは会いにもゆかなかった」と語っているのを読んだことがきっかけ であった(吉田元首相は1936年から39年まで駐英大使)。
|
- 日本人は外交下手
187 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/23(土) 17:14:33 ID:VTXNg2q5 - あたまにスッと入るあらすじ
チャーチルが愛した日本 関榮次さんの新作チャーチルが愛した日本 (PHP新書 513) ttp://atamanisutto.livedoor.biz/archives/51019923.html 1941年になってもチャーチルは日本を参戦から思いとどまらせるために、重光と頻繁に会い、ドイツ・ソ連を 訪問した松岡宛にレターを書いたり、レターを松岡が握りつぶさないようにコピーを近衛に届けたりした。 重光は結局1941年6月に離任し、その直後の7月には日本軍が仏印進駐で米英諸国との対立が決定的となった。 それにもかかわらず、チャーチルは1941年11月、まさに太平洋戦争の勃発まで1ヵ月となった時に、 マンションハウス演説と呼ばれる演説で日本へ最後の警告を出している。 「私は日本の最も賢明な政治家がもっており、すでに明らかにされている願望にそって、 太平洋の平和が保存されることを希望する。」 しかし日本は戦争に突入し、1945年に無条件降伏するに至る。
|
- 日本人は外交下手
188 :187[sage]:2010/10/23(土) 17:16:25 ID:VTXNg2q5 - 1951年には首相の座に返り咲き、当時皇太子だった今上天皇を英国でエリザベス2世の戴冠式にお迎えする。
戦後すぐでもあり、英国民の反日感情は高かったが、チャーチルは歓迎を陣頭指揮して、皇太子を格別にもてなした。 皇太子歓迎のレセプションでは、慣例を破って女王への乾杯の前に皇太子殿下への乾杯を行い、 母ジェニー・チャーチルが日本から持ち帰り、チャーチルも愛用している青銅の馬の置物を取り上げて、 「日本はこの置物のような美術品を生む文化と美術の長い歴史をもちながら、西欧諸国にまともに扱われず、 軍艦を2,3隻もつようになってはじめて一流国として認められた」というジェニーが日本で聞いた話を 皇太子殿下へのスピーチとした。 また吉田茂首相の訪英も反対論を押し切って受け入れ、吉田首相のレセプションでも皇太子殿下のスピーチで 語った趣旨を繰り返し、第一次世界大戦中に日本の協力で、ドイツ軍艦を拿捕でき、太平洋での作戦が うまくいったこと、吉田首相が平和愛好家として戦前戦中を通して努力していたことをたたえた。 吉田首相は、チャーチルに10年来の旧友のように行き届いた心遣いをして貰ったことに感服したと回顧録に記している。 チャーチルの母がかつて日本に旅行したことがあり、幼少の時に母から日本の景色の優れていること、 特に富士山のきれいなことを聞かされたということを聞いて、吉田首相は同じ大磯に住む安田靫彦(ゆきひこ)画伯に 富士山の絵を描いてもらってチャーチルに贈ったところ大変喜ばれたという。
|