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名無しさん@お腹いっぱい。
【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂

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【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂
70 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/22(金) 15:38:00 ID:EihtrwmA
★張作霖爆殺事件について
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1133178167/
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2005/11/28(月) 20:42:47 ID:bYl3gJwB0
これは、衝撃的な内容である。最近出版された、ユン・チアン&ジョン・ハリディ=著、
『マオ 誰も知らなかった毛沢東(上)』、土屋京子=訳、
講談社、2005年の301pから引用しよう。

「★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、
ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、
実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン
(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の
仕業に見せかけたものだという」。


盧溝橋事件を起こしたのは中国共産党
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1117431182/

盧溝橋事件
ttp://www.geocities.jp/vivelejapon1945/rokokyo.html
 では盧溝橋事件の黒幕はだれなのか。それは共産党説がある。産経新聞平成6年9月8日夕刊には盧溝橋事件直後
に中国共産党司令部宛ての「成功せり」という緊急電報が届いていることを日本軍が傍受したという事実がある。
なおかつ「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志の指示によって行われたものである」という内容が共産党の
兵士向けのパンフレットにのっていたともいわれる。なお劉少奇は共産党の人物である。批判として日本軍が
支那大陸に駐留していること事態が侵略であるというものがあるがこれは全く意味をなさない。なぜなら、
日本軍の駐留は条約によるものであって決して侵略ではない。
【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂
71 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/22(金) 15:38:50 ID:EihtrwmA
(6)盧溝橋事件の原因をつくった中国共産党
ttp://www.history.gr.jp/~showa/227.html
(5) これら劉少奇発言を裏付けるものとして、「7・7事変(盧溝橋事件)は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の
一隊が決死的行動を以(も)って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと
第6次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。
その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく蒋介石南京反動政府と日本帝国主義であった。」
(ポケット版中国人民革命軍総政治部発行「初級事務戦士政治課本」)がある。

 以上の諸点を見れば、盧溝橋事件は、排日事件を頻発(ひんぱつ)させ、西安事件によって抗日戦線を形成してきた
中国共産党が、日本との戦争を行うべく、戦略的な突出を行い、国共一体となって、抗日戦を切り開いて行く状況を
作ろうとして起こした事件と見るべきである。



1.7月7日盧溝橋事件まとめ・なぜ日本軍が居たのか・1937年7月7日から日本軍が銃撃され
7月8日に4回目の銃撃で反撃・毛沢東、周恩来、ケ小平、劉少奇(葛西純一)「共産党が戦争を起こした!」
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/43659929.html


2.7月7日盧溝橋事件まとめ・なぜ日本軍が居たのか・1937年7月7日から日本軍が銃撃され
7月8日に4回目の銃撃で反撃・毛沢東、周恩来、ケ小平、劉少奇(葛西純一)「共産党が戦争を起こした!」
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/43659977.html
さらに、戦後も今から40年くらい前まで、支那共産党の幹部たちは、支那事変(盧溝橋事件と戦線拡大と継続)が
共産党の仕業だったことを公然と話していた。


●周恩来
―――――――
1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、
日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光を
もたらしたのだ」と発言したと伝えられている。
【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂
72 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/22(金) 15:39:37 ID:EihtrwmA
ゾルゲ事件
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-3.html
(d)尾崎らによる日中和平妨害工作
 尾崎は国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害した。蒋介石以下の国民党首脳部と親しい間柄
にあった茅野長知は、上海派遣軍司令官・松井石根大将の依頼により、昭和12年10月ごろから、
日中和平に乗り出した。昭和13年4月には即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意にいたった。近衛首相も
板垣陸相も承認して、この線で和平実現に努力することになった。茅野は国民党政府と接触し、5人の代表を東京に
派遣することとなった。
 しかし、茅野が再び帰国して、交渉の結果を報告すると、板垣陸相の態度は急変「支那側には全然戦意はない。
このまま押せば漢口陥落と同時に国民政府は無条件で手を挙げる。日本側から停戦声明を出したり撤兵を約束
する必要はなくなった」という。
 茅野が「それはとんでもない話だ。国民政府は長期抗戦の用意ができている。そんな情報はどこから来たのか」
と問いつめると、板垣陸相は、同盟通信の上海支局長をしていた松本重治が連れてきた国民政府の外交部司長・
高宋武から直接聞いたという。松本重治は尾崎の年来の友人であり、共に「朝飯会」のメンバーとして近衛首相の
ブレーンともなった人物である。
高宋武は、日本側に「国民政府はもうすぐ無条件降伏する」と伝え、蒋介石には「中国があくまで抗戦を継続すれば、
日本側は無条件で停戦、撤兵する」という偽りの電報を打っていた。こうした謀略によって、茅野の和平工作は水泡
に帰し、その後、高宋武、松本重治、尾崎らによる汪兆銘政権樹立の動きとなっていく。
 国民党副総裁であった汪兆銘は、蒋介石にコミンテルンの謀略に乗った抗日戦争を止めさせるよう願っていた。
尾崎らは、その汪兆銘を担ぎ出して親日政権を作らせ、それを以て日本と国民政府の戦いを続けさせようという
たくみな謀略をしくんだのである。
【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂
73 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/22(金) 15:41:17 ID:EihtrwmA
陰謀の海・真珠湾
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-5.html
 モーゲンソーを支えていた財務次官は、ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)である。
ルーズベルトの周辺には、かなりの数のソ連スパイが暗躍しいていた。ホワイトはそのスパイ・グループの一人で
あったのである。
 ソ連はドイツの猛攻を浴び苦戦を強いられていた。もし、極東において日本軍の攻撃を受ければ、腹背に敵を迎え
二正面作戦を強いられ苦しい事態におかれることになる。ソ連の課題は、日本から侵攻されることを未然に防止
することであった。「ゾルゲ事件」も、対ソ連侵攻の「北進説」から、南方進出の「南進説」へと日本の国策転換に
一定の役割を果たしたと考えられている。こうしたソ連の事情から、ホワイトの役割は日本を挑発し日米戦争を
仕掛けることにあったようである。


■真珠湾攻撃の5ヶ月前に、アメリカも日本本土爆撃を計画していたことを示す公文書が発見された。
その推進者であったロークリン・カリーという大統領補佐官はソ連のスパイだった。
(産経新聞:平成11.7.15)

■真珠湾攻撃の原因となった「ハル・ノート」を作成した当時の米財務次官ハリー・ホワイトはソ連のスパイだった。
ソ連指導部は日本の軍事的脅威を除くため、米国を早急に対日参戦に促す「スノウ作戦」をすすめていた。
(産経新聞:平成11.8.22)


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