- 【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂
67 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/20(水) 16:48:52 ID:TXR/oZc4 - ジョージ・F・ケナン
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1067694901/ http://mimizun.com/log/2ch/whis/1067694901/ 昭和史の真実 ttp://www.history.gr.jp/~showa/index.html ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」に見る ttp://www.history.gr.jp/~showa/130.html Japan On the Globe(206) 国際派日本人養成講座---------- 地球史探訪:サンフランシスコ講和条約 ■3.アメリカは戦う相手を間違えていた■ ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog206.html ワシントン体制 ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/washinton1.html 「平和はいかに失われたか」ジョン・アントワープ・マクナリー原著 《マクマリーの結論》 ・人権意識がよみがえった中国人は、故意に自国の法的義務を軽蔑し、目的実現のためには向こう 見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。そして力に訴えようとして、力で反撃されそうな見込みが あるとおどおどするが、敵対者が、何か弱みのきざしを見せるとたちまち威張り散らす。そして自分の 要求に相手が譲歩すると、それは弱みがあるせいだと冷笑的に解釈する。中国人を公正に処遇しょうと していた人たちですら、中国人から自分の要求をこれ以上かなえてくれない「けち野朗」と罵倒され、 彼らの期待に今まで以上に従わざるを得ないという難しい事態になってしまう。だから米国政府が とってきたような、ヒステリックなまでに高揚した中国人の民族的自尊心を和らげようとした融和と和解の 政策は、ただ幻滅をもたらしただけだった。(180頁)
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68 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/20(水) 16:50:35 ID:TXR/oZc4 - 櫻井よしこ ブログ!
「航空自衛隊の前幕僚長の論文は全体像把握に必要な知的努力」 『週刊ダイヤモンド』 2008年11月15日号 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 764 1920〜30年代の中国研究における米国の第一人者の一人、ジョン・マクマリーのメモランダム、 『平和はいかに失われたか』(北岡伸一監訳 原書房)が一例だ。同メモランダムは日米開戦時の グルー駐日大使や、戦略論の大家であるジョージ・ケナンら、米国のアジア問題専門家らに影響を 及ぼし続けてきた。そのメモランダムでは20〜30年代の日中関係はどのように見られていたか。 たとえば21年のワシントン会議では、太平洋地域の緊張緩和のための枠組みがつくられた。 マクマリーは、「日本陸軍の現役士官達と『浪人』といわれる愛国主義の権化のようなあの無責任な 連中」の存在を批判する一方で、日本政府は31年の満州事変までは、同会議の「協約文書ならびに その精神を守ることに極めて忠実であった」、「中国問題に最も深く関わっていた人々は、日本政府は 申し分なく誠実に約束を守っていると考えた」ことを強調している。 マクマリーはまた、満州事変を起こした日本の路線を「不快」と断じながらも、「日本をそのような行動に 駆り立てた動機をよく理解するならば、その大部分は、中国の国民党政府が仕掛けた結果であり、 (満州事変は)事実上中国が『自ら求めた』災いだ」と分析しているのである。 ttp://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/11/15/%e3%80%8c%e8%88%aa%e7%a9%ba%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e3%81%ae%e5%89%8d%e5%b9%95%e5%83%9a%e9%95%b7%e3%81%ae%e8%ab%96%e6%96%87%e3%81%af%e5%85%a8%e4%bd%93%e5%83%8f%e6%8a%8a%e6%8f%a1%e3%81%ab%e5%bf%85/
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69 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/10/20(水) 16:51:52 ID:TXR/oZc4 - 日本とインド
〜日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)と東京裁判〜 ttp://harororo.hp.infoseek.co.jp/japan_indo.html ニューヨークタイムズは東京裁判の直後、この裁判を無効とし、全員無罪を判決したパール判事の少数意見を 一面トップで大きく取り上げこれを評価した。 ロンドンタイムズは1952年6月から7月にかけて約一ヶ月間にわたって、このニュルンベルク裁判と東京裁判の 二つの裁判に対する論争を連載した。 イギリスの国際法の権威であるハンキー卿や、米の連邦最高裁判所のW・O・ダグラス判事もパール博士を支持した。 米の国際法学者マイニア教授は「東京裁判の判決は、国際法、法手続、史実のいずれから見ても誤りであった。 結局《勝者の裁き》に過ぎない」として『勝者の裁き』という著書を世に問うた。
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