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【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】52

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【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】52
386 :70[]:2010/10/19(火) 19:38:31 ID:J7BXNaNf
>>364
削除

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7
自我同一性を獲得するために社会的な義務や責任を猶予されている準備期間をモラトリアムと言うが、これはアイデンティティが確立するまでの猶予と言う意味を表しているに過ぎず、エリクソン自身は青年が様々に葛藤したりする戦いの時期として捉えていた。
そのためモラトリアムと言っても当事者自身はアイデンティティ獲得のために心の中で戦っているような様を思い浮かべるのが正しいであろう。
この時期に青年はそれまでに獲得してきた様々な自己の部分を整理しなおす。その結果、青年には適切に選ばれた忠誠を誓えるような対象と自己の活動が残り、また否定的な部分は捨てられてアイデンティティとして確立する。

自我同一性がうまく達成されないと、「自分が何者なのか、何をしたいのかわからない」という同一性拡散の危機に陥る。
同一性拡散のあらわれとして、エリクソンは、対人的かかわりの失調(対人不安)、否定的同一性の選択(非行)、選択の回避と麻痺(アパシー)などをあげている。
またこの時期は精神病や神経症が発症する頃として知られており、同一性拡散の結果として、これらの病理が表面に出てくる事もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E9%81%94%E8%AA%B2%E9%A1%8C
発達課題(はったつかだい、developmental Task)とは、「人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題」であり、「次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題がある」とされる。
また、各段階には健全と相反する危機(crisis)が存在し、健全な傾向をのばし、危機的な傾向を小さくしなければならない。

【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】52
387 :70[]:2010/10/19(火) 19:47:38 ID:J7BXNaNf
http://www.city.meguro.tokyo.jp/shitsumon/kosodate/tsuite/1han_3sai_shakai/index.html#Q05
何でも「イヤ」、「自分で」ばかりで、私のほうがイヤになるわ
自我の芽生えとともに「イヤ」、「ダメ」と反発することが多くなります。大人から見ると厄介なことですが、子どもにとっては大切な成長のひとつです。
また、「自分でする」と言う言葉も出てきます。この時期はできるだけ子どもが自分でいろいろな事をする機会を与えましょう。
手を出したくなるのを我慢して「一人でできたこと」を認めることで自信や次の意欲につながっていきます。

3「あれもダメ」、「これもダメ」と言ってしまうのですが
叱ってばかりでは効果がありません。なるべく叱らないようにするためには環境作りが大切です。
危険をなくす(刃物、火などに近づけないように)
触られて困るものはしまっておく
汚されても片付けやすいようにする(食事のときにシートなどを敷いておく)
本当に事故につながりそうなときには、真剣に・冷静に「危ない」、「ダメ」などの短い言葉で、そのときすぐに伝えてください。
大人の真剣さを通して「危険」であることが分かっていくでしょう。


【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】52
388 :70[]:2010/10/19(火) 19:48:26 ID:J7BXNaNf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%B1%B3%E4%BF%9D%E5%AE%88
戦後民主主義を、占領軍と国内の左翼勢力が結託した日本の伝統や主体性に対する否定行為と非難している。
反米こそが真正保守であるという人もいる

共産主義

親米保守と反米保守の論争

【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】52
389 :70[]:2010/10/19(火) 19:49:25 ID:J7BXNaNf
http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno2.html
 明治4年、廃藩置県の政令が沖縄にも届けられた。ところが琉球王府はこれを拒絶した。そこで政府がこれを平和裡に解決しようとして内務官を明治8年と明治12年(1月)に二度にわたって沖縄に派遣したがいずれも王府は受理しなかった。
このため政府は、明治12年3月に陸軍歩兵400名、警官160名という実力部隊を内務官に伴わせて琉球王府に廃藩置県を申し渡したのである。このとき琉球王府は何の抵抗もせず即座に従った。

http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno2.html
 ところで、廃藩置県後も沖縄には反日親中の気運が残り、政府の近代化政策はことどとくこの琉球の旧支配者層に妨害された。しかし我が国が日清、日露の両戦争に勝利したことを知った県民はようやく国家意識をもち始めるようになった。

http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno2.html
本土では義務教育令は明治5年に施行された。そして学問は立身出世の手段とされ、当時の青少年たちは先を争って勉強した。ところが沖縄は廃藩置県を拒み続けたため明治19年になってようやく施行されたのである。
しかも、学問は士族のたしなみとされ、農家は子弟を早く出稼ぎに出して、その送金をあてにするようになった。このため沖縄では就学率がなかなか伸びず、しかもあまり教育されていない沖縄出身者は行く先々で批判されがちであった。
『沖縄県史』新聞編、明治34年9月の項には「本県人の不信用」として次の記述が残されている。
 「大阪において本県出身の青年労働者が酒に溺れ、欠勤が多く、月給よりも日給を求め、沖縄県民への信用を傷つける」
 また『北米県人史』には移民一世の回顧として「移民の教養が低ければ、海外で差別排斥そされがちであるので、其の教育は甚だ重要なことであった」という記述がある。
 昭和10年代になって初めて沖縄はこの教育の重要性に気付き、「沖縄を他府県並の教育水準に引き上げるには、秀才教育をもって当たるしかなく…」(沖縄県立第二中学校長志喜屋孝信)とようやく教育振興策をうちだしたのである。


【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】52
390 :70[]:2010/10/19(火) 19:50:10 ID:J7BXNaNf
http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno2.html
 ところで米軍は沖縄戦直後、日本本土侵攻のために沖縄に多量の物資を集積していた。当初彼らは沖縄統治政策が定まっていなかったにもかかわらず、民主国家の大義において沖縄県民を飢えと病気から救うためにこの物資の放出を開始した。
 ところが終戦直後約33万人であった沖縄の人口は翌昭和21年から開始された本土や台湾からの引き揚げ者の流入の結果、昭和23年には56万人に膨れ上がり、彼らの持ち込む通貨によってインフレが起こった。
 加えて、米軍が沖縄で放出する物資は、本土から見れば垂涎のまとであったため沖縄近海では密輸まで発生し、米軍のインフレ懸念をより深刻なものとされた。
 そこで昭和22年より東西冷戦が顕在化したこともあって、米軍は沖縄の本格統治にのりだすと共に、沖縄県内通貨を軍円(B円)に統一した。また昭和21年より開始されていたガリオア援助を24年よりは大幅に増加させると共に、エロア援助を追加した。
 昭和25年になると本格的な基地建設が開始された。2億7000万ドル以上の資金が沖縄に投下され、本土大手建設会社21社もこの特需を受注するために来県した。
さらに朝鮮戦争へ出動する連合軍部隊が沖縄を経由したため彼らの消費需要は経済を相乗的に刺激し、沖縄経済は昭和31年にすでに戦前水準を凌駕したのである。
 一方、米軍は沖縄に基地を建設するため土地の接収を急いだこともあって、昭和29年頃よりこの支払方法と価格をめぐって県民の強い抵抗にあっていた。
そして約5年にわたる交渉の末に合意に達し、昭和35年から36年までに大量の土地代が沖縄に投下された(総額2416万ドル)。巷では、「ドルの雨が降る」と騒がれ、県内の金融機関には史上空前の資金がだぶついた。
 一方、昭和32年、在沖米軍司令部はワシントンから派遣された金融通貨調査団に指摘され、沖縄のB円通貨をドル通貨に転換していた。この結果、沖縄経済は当時世界で最も裕福であった米ドル経済圏の中で活動していくことになる。
 市中には米国製の嗜好品や食物が出まわり戦前では想像もつかない消費文化が開花していたのである。




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