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【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51

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【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51
320 :74[]:2010/09/18(土) 22:47:28 ID:D7HBDv99
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4163680608/ref=pd_rhf_shvl_cm_cr_acr_txt_2?ie=UTF8&showViewpoints=1
書物の運命
もう驚きません。結局、”中東問題は日本問題”との指摘は。
この領域でも、同じような連中が、日本の近代の病理に悩まされ、
大学という西側の近代の制度が生み出した”便益を享受しつつ”、
詭弁とターミノロジーを操りながら、”ある種のねじれた心理”
に追い立てられ”われわれの近代ではないものが、きっと向こう
側にあるはずだ”という”西欧崇拝とは逆の幻想”を追い続けて
きた”というわけです。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4061495887/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1
現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

共存はありえるのか
結構読みにくい本です。この作品の論旨をたどるには相当の基礎知識が必要とされます。
特にナセルの非同盟運動、70年代前後のパレスチナゲリラの運動があまりにも印象が強く残っている私には。
著者は、袋小路に陥っているアラブ社会の知的状況をその状況的な並びに本質的な矛盾を中心に描きます。
そして私たちとは隔絶した他者を赤裸々に描いていきます。
所詮はイスラム世界においては、穏健派も過激派も、イスラムと非イスラムの価値的な平等を是認することがない
という著者の指摘は絶望的ながらも慧眼です。
日本のメディアにはこの悲劇的な対立の認識が根本的に欠落しているようです。

【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51
322 :74[]:2010/09/18(土) 22:55:51 ID:D7HBDv99
http://uraaozora.jpn.org/takamura.html
よほどアメリカでは腹の立つことが多かつたとみえて、よくアメリカ人と喧嘩をしたと話された。
生活費を得るためにボーグラムといふ人の助手をして働き、夜はアメリカの芸術学生達と一緒に研究所に通つてゐたが、
よくボーグラムの玄関掃除をしてゐると、通りがかりのアメリカ人が「ジヤツプ!」といふ罵声を浴びせかけるので、
玄関を洗つてゐたホースの水をいきなり頭に向けて帽子を吹きとばしてやつた。
それに因縁つけてくると物凄い腕力で黙らせてしまふので、しまひにはボーグラムの家の前をさけて通るやうになつたといふことである。

研究所でも作品に意地悪い悪戯をされて、それが何度も何度もされるので、つひに腹にすゑかねて犯人を見つけて乱闘になつたが、
例によつて腕力で相手を押へつけてしまつた。それからその男と友人になつたといふが、私は大東亜戦争の相手がもしアメリカでなくて、

ロダンの国フランスであつたなら先生の立場もちがひはしなかつたかと、時々ひそかに思ふのである。
日本では出刃庖丁は勿論、腕力沙汰などきいたことはないが、あまり酔つぱらつて無茶をやり出す者があると、
時には顔が紫色になるほど鉄拳が飛んだといふこともある。
更科科蔵「高村先生の一面」
昭和33年1月



【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51
323 :74[]:2010/09/18(土) 22:57:13 ID:D7HBDv99
鮮明な冬
この世は一新せられた。
黒船以来の総決算の時が来た。
民族の育ちがそれを可能にした。
長い間こづきまはされながら、
なめられながら、しぼられながら、
仮装舞踏会まで敢てしながら、
彼等に学び得るかぎり学び、
彼等の力を隅から隅まで測量し、
彼等のえげつなさを満喫したのだ。
今こそ古しへにかへり、
源にさかのぼり、
一瀉千里に奔流となり得る日が来た。
われら民族の此の世に在るいはれが
はじめて人の目に形となるのだ。
ひよどりが鳴いてゐる、冬である。
山茶花が散ってゐる、冬である。
だが昨日は遠い昔であり、
天然までが我にかへった鮮明な冬である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F.E3.81.AE.E6.8C.AB.E6.8A.98
青年期の挫折 [編集]
1905年に中等教育(高校)を途中で放棄した後のヒトラーはウィーンで気侭に暮らしており、
働く事もなく母からの孤児年金の仕送りで生活していた。1907年に母が亡くなった辺りから画家を目指し始め[6]、
ウィーン美術アカデミーを二年に亘って受験する。美術アカデミーは中等教育修了を必要とせず、
実業学校を退校したヒトラーでも受験が可能だった。
しかし肝心の試験結果は不合格であった。同年の合格者にはヒトラーより一歳年下で、前衛絵画を制作したエゴン・シーレなどがいる。
一度目の試験記録には「アドルフ・ヒトラー、実業学校中退、ブラウナウ出身、ドイツ系住民、役人の息子。
頭部デッサン未提出など課題に不足あり、成績は不十分」と記述されている[7]。
二度目以降の試験では予備試験にすら受からず、むしろ合格は遠ざかっていたという。
経済的にも遣り繰りに工夫が要るようになり、1908年からアウグスト・クビツェクと同居生活を始めている。
【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51
327 :74[]:2010/09/18(土) 23:15:17 ID:D7HBDv99
http://uraaozora.jpn.org/takamura.html
回想録
 高村光太郎と言へば教授高村光雲先生の伜で、彫刻科の特待生(?)だつた。他の科の学生間にも有名な人だつた。
へー高村光太郎は卒業したんじやないか、又西洋画へ入つて来たのか、好い身の上だなー、かうやつて親の力で、
悠々勉強が出来る身分に、あやかりたいよと、貧乏学生は皆、羨やましがつた。高村光太郎は、余り他の学生と交際しなかつた。
元来無口な人と見える。しかも我々の様に毎日来ない。折々やつて来て、木炭画のデッサンを描いて居た。
黒田(清輝)先生も、何か言ふけれども、あまり身に泌みて教へては居ない様だつた。
君はもう立派に一人前の作家だから教へる必要もなささうだと言ふ顔つきだつた。
彫刻は、上手かも知れないが、デッサンも立体から平面になると、いささか勝手が違つて居た様だ。
そのため尚一層、西洋画を習得する必要があつて洋画へ再入学したのかも知れない。
しかしそれもこれも半年位で何時の間にか来ない様になつてしまつた。また我々からも、何時忘れるともなく忘れられて居た。
かうして我々が社会に出て画壇に首を突つ込んだ頃は詩人高村光太郎の名は高かつた。しかし彫刻作品は、余り見る事が出来なかつた。
ただ非常に高踏的な作家として世間からは尊敬されて居た。我々の如く踏んだり蹴つたりの目には会はなかつた様だ。
池辺鈞「美校の西洋画教室で」
昭和32年11月

【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51
328 :74[]:2010/09/18(土) 23:17:40 ID:D7HBDv99
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%8E%E6%82%AA
憎悪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
憎悪(ぞうお)とは、愛情や友情の正反対に位置する態度・行動である。

概要 [編集]
他人やその人の言動・態度が、自分にとって不快であるだけのみならず、自分の人格や尊厳を傷つけるものとして許しがたく、
そうした行動が既に取り消しがたいものであれば、その他人の存在そのものに対しても激しく憤りを感じ、
なんらかの報復を試みたいと考えること、あるいはそうした感情。場合によっては、違法であることはもとより、
傷害行為といわれようと復讐したいと思うような憎しみを持つ。

原理 [編集]
憎悪が人の集団や人種、国家に対して向けられた瞬間、人種差別・民族差別・植民地支配・テロリズム・近親憎悪・反体制
といった行動として、その姿を表すこともある。それは信念・主義として常に表に表されていなくても、
ささいな事件・衝突から一挙に爆発し、直接にはその衝突に無関係だったはずの人たちをも巻き込んで、
憎悪が大衆暴動・蜂起に発展していくこともある。政治状況が不安定であったり、
人種や支配階級とそれに抑圧された市民層の間での持てる者とそうでない者の間の社会的な軋轢が
極度の緊張関係にある社会ではよくあることである。



【石工組合】湯駄屋の陰謀【啓蒙協会】51
333 :74[]:2010/09/18(土) 23:35:42 ID:D7HBDv99
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE
出雲大社(いずもおおやしろ、いずもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社である。
式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、
宗教法人出雲大社教の宗祠。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。康治元年(1142年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、
国中第一之霊神」と記された[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:IzumoTaisha-honden.JPG

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされる。
正式名称は神宮(じんぐう)[1]。他の神宮と区別する場合には「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、
親しみを込めて俗に「お伊勢さん」とも言う。神階が授与されたこともなく[2]、
明治時代から戦前までの近代社格制度においても対象外とされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:IseShrine.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Naiku_01.JPG

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA
法隆寺(ほうりゅうじ) は、奈良県生駒郡斑鳩町にある仏教聖徳宗の総本山である。別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Horyuji001.jpg

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/3935/ww2/syusen.html
道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ


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