- 【国連】竹島不法占領非難決議可決 3【安保理】
732 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/08/27(金) 22:14:28 ID:ACLbJ9xA - 竹島一件で当時の竹島(鬱陵島)が朝鮮領で決着して、その後も松島(今の竹島)への渡航は禁じられてない。
その後西洋地図で混乱して、勝海舟「大日本国沿海略図」が、 アルゴ(竹島と呼ぶ架空島)・ダジュレー(松島と呼ぶ鬱陵島)・リアンの3島併存になってるから、 「朝鮮国交際始末内探書」は「竹島 松島 朝鮮附属ニ相成候始末」は<松島は竹島の隣島で掲載された記録もない> ということは古文献に通じてない人物の認識だからここでは<架空島+鬱陵島>の<アルゴ+ダジュレー>のことだろう しかし朝鮮領だとみなされた「松島」(=ダジュレー・鬱陵島)の言葉が独り立ちして そこから「松島=ダジュレー・鬱陵島」と、江戸期認識の「松島=現竹島」とが混乱し始め、 その後、鬱陵島対象の開墾願いが「竹島」「松島」の違う二名の名目で出された時に、 混乱状態で太政官<竹島外一島関係なし>になったが、 軍艦天城が調査して「松島=鬱陵島、竹島=一個の岩石」と判明、 これまで政府が「松島」と判断してた島は鬱陵島であり、竹島と判断してた島が竹嶼だったと分かり認識が矯正され、 内務外務間文書の「朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀ニ付」<鬱陵島すなわち竹島とも松島とも呼ばれている島> ということになったんじゃないか? いくつかの文書における表現がどれも同じ認識と同じ前提の上で記述されてるとは限らない いずれにせよ、日本と朝鮮との竹島紛争の原点は江戸時代の竹島一件で、 そこで争われたのは、朝鮮が鬱陵島に空島政策をとってる間に日本人がそこに進出して紛争になったんで、 その島は朝鮮領で決着したということであって、あくまで鬱陵島限定の紛争。 人が住めない現竹島については論争外だった 鬱陵島に行かなくなることで、現竹島への足が遠のいて、 しかも地図が混乱してどれがどの島か分からない状態になってしまい、 いろいろな認識や文書が生まれたが、 勅令でも現竹島は記載してない朝鮮側は歴史的にも領有したことも経済活動をしたこともない 無人島だった現竹島自体はその時点では誰のものでもなくなってるが 無主の島の状態から日本漁民が漁舎立て始め、経済活動し始めて、 日本が編入して先占が完成したということだろう。
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