- 東ティモールへの援助政策を考えるスレ
100 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/07/25(日) 12:47:22 ID:/axsIgYJ - 彼らの見た島民の生活はひどいものだった。
宗主国ポルトガルは、原住民の反乱を恐れて道らしい道も作らず、 まして島民のための病院も学校も何も作らなかった。 首都ディリにさえ商店はなかった。島民はニッパヤシで葺いた、家具もない粗末な家に住み、 階下に豚を飼っていた。支那の便所と同じに餌は人糞だった。彼らの財産はその豚と土器と火打石だった。 島民は日本軍がきて白人を追いたてるのを見て、自王分たちを日ごろ残忍に扱ってきたポルトガル人を襲い始めた。 日本軍は総督らを保護し、その代わり島民を縛ってきた人頭税を廃し、成人に課してきた使役もやめさせた。 これを後藤乾一早大教授や倉沢愛子慶大教授は「日本軍が島民を虐待し、略奪し、殺した」と書く。 島民の褌を略圧して何の意味があるのか。こんな人たちに学生を教える資格があるのだろうか。 戦後、日本軍が去ると島民は再びポルトガルの苛酷な支配にひしがれた。 男には再び使役が課され、女はきれいだと白人の慰みものにされた。 それで生まれたのが現大統領のラモス・ホルタや先代のシャナナ・グスマンらだ。 ポルトガルは彼らには宗主国の国籍と白人の名と教育と武器を与えた。 しかし島民にはそのどれも与えなかった。 二十世紀後半、ポルトガルはこの島を捨てた。特産品があるでなし、維持経費が出なくなってしまったためだ。 捨てられた島をインドネシアが面倒見た。 毎年二千万j以上の国費がここにつぎ込まれ、西ティモールと同じにインドネシア語が教えられ、 病院と学校が建てられ、道路も整備された。豚と一緒の家もまともな住宅に建て替えられていった。 四百年、ポルトガルが放置した島はやっと人の住む世界に生まれ変わった。 しかし白人の国籍をもつラモス・ホルタたちは色つき人種の支配を嫌い、オーストラリアと組んで独立を果たした。 朝日新聞の矢野英基記者が最近この島の表情をコラムに書いていた。 警官が商店主にたかってみかじめ料を取っている。 この悪習は「インドネシア併合時代に根付いた慣行だろう」。こういう「負の遺産」は早く処理しろと。 併合したからこそ商店ができた。過去も調べず、悪いことは色つき人種のせいにして喜ぶ。 週刊新潮「変見自在」 08.10.23 より引用
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