トップページ > 国際情勢 > 2010年03月30日 > KGrVRtN0

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名無しさん@お腹いっぱい。
日本人は何でクジラやイルカみたいな動物殺すのか?
日本人って結構アメリカの事好きだよね。

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日本人は何でクジラやイルカみたいな動物殺すのか?
83 :名無しさん@お腹いっぱい。[SAGE]:2010/03/30(火) 00:44:51 ID:KGrVRtN0
>>69
おまえはカルトか?
気味の悪いやつ。W
日本人って結構アメリカの事好きだよね。
382 :名無しさん@お腹いっぱい。[SAGE]:2010/03/30(火) 00:57:45 ID:KGrVRtN0

名前: 名無しさん@お腹いっぱい。
E-mail: SAGE
内容:
942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 21:21:37 ID:VEyurlMg
サイパンで生き残った田中徳祐・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)は次のような事実を自らの目で
目撃している。
 @「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台
のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。
 滑走路に集った老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火がつけられた。忽ち阿鼻叫喚の巷と化した
滑走路。我慢ならず我兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。
 B火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で
突き飛ばして火の中へ投げ入れる。二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を
持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂き
にされた日本の赤ん坊とそれを見て笑ふ鬼畜の米兵士。
 Cこんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
 Dマッピ岬にHり付いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串さしにされた婦人を見た。
更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れてゐるのを眼前に見た。
 米軍の残忍非道から名誉と身を守るために「天皇陛下万歳」を奉唱してマッピ岬から太平洋に見を
躍らせた老人、婦女子や、左腕に注射針を刺し、君が代と従軍歌「砲筒の響遠ざかる・・・」を斉唱
しつつ自らの命を断った十余名の従軍看護婦達の最期を田中は見てゐる。


田中徳祐 『今日の話題. 戦記版 第三十二集 サイパン玉砕記』 土曜通信社 (1956年)
田中徳祐 『我ら降服せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』 立風書房 (1983年)
田中徳祐 「岡兵団 われサイパン戦に生きて」『丸・別冊 太平洋戦争証言シリーズ(6) 玉砕の島々 中部太平洋戦記』 潮書房 (1987年)

日本人って結構アメリカの事好きだよね。
383 :名無しさん@お腹いっぱい。[SAGE]:2010/03/30(火) 00:58:28 ID:KGrVRtN0
943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 20:18:01 ID:domXiRhg
アメリカン・ヒストリー
  1898年12月、フィリピンはスペインからアメリカに2千万ドルで売却され、アメリカ
の植民地となる。既に宗主国への独立運動が起きていたが、その戦いはスペインから
アメリカに変わっただけであった。
 翌年2月、サン・ジュアン橋を警護していたアメリカ兵がフィリピン人に発砲したことから
戦いは表面化する。
アーサー・マッカーサー将軍(来日したのは彼の息子)は軍を率い、マニラから北部に
攻め入り、本国からも援軍が来る。アメリカ軍はゲリラを掃討するため、各種の手段も
用いたが、当然拷問もその1つだった。
 特に頻繁に行われたのは水責めだった。捕虜を仰向けに寝かせ、その上に椅子を置き、
口の中に棒や剣をねじ込んで口を開かせ、塩水や泥水を大量に流し込む。そして腫上が
った腹の上に椅子に飛び乗り揺する。すると食べた物ばかりか胃液までが水と一緒に
吐き出されるが、これを何度も繰り返したそうだ。処刑の場合は耳を削ぎ、目をくりぬき、
腕を切り落とした。捕虜が女である場合は乳房を切り落とし、銃剣をゆっくりと性器の奥
に突き刺した。
 1901年、サマール島のゲリラを鎮圧するためジェイク・スミス率いる部隊がバランギガ
の街に宿営した時、ゲリラの反撃に遭い多数のアメリカ兵が殺害された。この報告を受けた
セオドア・ルーズベルトはゲリラの鎮圧を命じる。
これを受けたスミスはこう部下を叱咤激励する。「焼き尽くし殺し尽くす。これが多けれ
ば多いほどよい」。兵士たちは任務に邁進した。一連の弾圧で20万ものフィリピン人が
犠牲となったが、アメリカは本国でのインディアン掃討作戦を再現したに過ぎない。
 フィリピン人で過去の歴史でアメリカを憎む者は、まず少ないだろう。
「人間というものは軽度の侮蔑には復讐の気持ちも起こるが、大きな危害を加えられると
復讐の気さえ失ってしまうものだからだ」 −マキアヴェッリ



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