- ユダヤの最上層部は宇宙生命体かその憑依【4】
723 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/03/15(月) 22:33:13 ID:lk4AEUe9 - 同じ「惑わされる」なら、誰が作ったかわからない『知恵の書』を後知恵バイア
スで『ソロモンの知恵』と呼んでいるようなものより、ピタゴラスとかプラトン に惑わされたいね。オレならね。知恵熱気味のオレならの話ね。 でも1$札のピラミッドアイ「万物を見通す目」には惑わされたくないけどね。 $←青銅の蛇 Sに‖の二本線の方はヤキンとボアズ
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724 :ヤキンとボアズの二柱[sage]:2010/03/15(月) 22:36:22 ID:lk4AEUe9 - フリーメーソンの象徴にも使われるヤキンとボアズの青銅の二本の柱は、阿吽の
狛犬のように始まりと終わり、男と女、正と負のような太極をあらわしていると もされる。 神の炎の蛇・モーゼの青銅の蛇の話は、裁きと死と再生がテーマのように思う。 そして炎の柱・雲の柱とも対応しているように思う。偶像崇拝禁止したモーゼは なぜ青銅の蛇を造ったのであろうか。 ソロモン神殿のヤキンとボアズの青銅の二柱と、移動式神殿の幕屋。神殿の祭壇 は生け贄を焼くカマドで、アカシアの板を青銅で覆っていたという。青銅は裁き の象徴をあらわすのだとかなんとか。 幕屋と神社の造りは類似点が多いといわれる。しかし、神社では生け贄の動物は 焼かない。米、酒、玉串、魚などをお供えはするけれども。あとは、青銅の十円 玉をお賽銭箱に入れるだけであろう。類似している点もあるということは、そう いう“要素”が入ってきたということは確かなのだろう。 前4世紀頃には青銅は鉄とともに九州から入ってきたとされ、前1世紀には青銅 は国内で生産が始まったといわれている。
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725 :雷とカモと二柱[sage]:2010/03/15(月) 22:39:34 ID:lk4AEUe9 - 原始的な鳥居は二本の柱にてっぺんを注連縄で結んだだけであったようだ。所謂
、鴨居と敷居の鴨居はなかったとされる。この鴨居はなぜ“鴨”なのであろうか 。 注連縄につける紙垂は“雷”を連想させるが、雷は神鳴りなのだとか。因みにセ フィロトの樹のジグザグのパスは神の意志をあらわす「雷の閃光」の通り道とい われるそうな。 賀茂建角身命には建玉依比古命と建玉依比売命の二柱の御子神がいる。 賀茂建角身命は賀茂氏の始祖で下鴨神社の祭神、八咫烏に化身して神武天皇を導 いたとされる。二柱の御子神の建玉依比古命は賀茂県主となり、建玉依比売命は “大山咋神”との間に賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)を産んだという。賀茂別雷 命は若々しい力を持つ雷神だとされる。 大山咋神は大年神の子である。大年神は正月に来る神で、稲の実りの穀物神、正 月の豊作祈念の神である。門松は大年神が来訪する依り代(神霊が依り憑く対象物) であるが、竹の先端部を斜めに切った「そぎ」は徳川家康が始めたものだそうだ 。 大山咋神は山の神で、“比叡山”に天台宗、延暦寺ができてからはそこの守護神 である。比叡山の王という意味で“山王”とも呼ばれる。また、大山咋神は徳川 家の氏神でもある。因みに明治以降は皇居の鎮守なのだとか。 天台宗が興した神道が山王神道、後に家康のブレーンで天台宗の僧、天海が山王 一実神道と改めた。家康の死後、家康の神号をめぐって天海(山王一実神道)と金 地院崇伝(吉田神道)で対立したという。
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726 :象徴と伝統[sage]:2010/03/15(月) 22:43:16 ID:lk4AEUe9 - 家康は征夷大将軍として、武家の棟梁として、幕府を開くために神龍院梵舜(吉田
家、吉田神道)に命じ系図を源義家(八幡太郎)に通じるように整備させたという説 もあるようだ。 八幡太郎源義家の子、足利尊氏に湊川の戦いで敗れた宮方(後醍醐天皇側)の新田 義貞は“比叡山”に籠もった。尊氏は「三種の神器」を接収し京都で光明天皇を 擁立(北朝)。後醍醐天皇は京都を脱し奈良の吉野へ逃れ「北朝に渡した神器は偽 物なので、北朝の皇位は正統ではない」として南朝を開いた。 神器という言い方が一般化したのはこの時代の頃だという。神器は門松のように 神の依り代なので本物、偽物とかはあまり意味がない気もするが…。古代におい て、鏡・玉・剣の三種の組み合わせは皇室だけではなく、支配者の象徴であった のだとかなんとか。 結局、ダラダラ長く書いてきたが全てが全てようわからん。つうか、よくわから んように仕向けられてるんだろうけど。新田氏カモ氏れないし、賀茂氏カモ氏れ ないし…神器、神宝という物質が有るのカモ…無いのカモ…。依り代に憑く神が 居るの鴨…居ないのカモ…。 まあ、どっちでもいいのカモしれんね。象徴は伝統になり、伝統は象徴になる。 有形無形、何を感じ、何を抽象、抽出して統べて伝えるかだけだしね。森羅万象 、何かを伝えるという行為が生命というカルマなのかもね。
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