- ◆ベンジャミン・フルフォード◆17◆
810 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/01/14(木) 04:22:21 ID:5+ObW9yA - (副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、 もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。 東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。 はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。 「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、 とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。 これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。 室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、 何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。 これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。 じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、 フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、 考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。 (引用おわり)
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- ◆ベンジャミン・フルフォード◆17◆
811 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/01/14(木) 04:23:32 ID:5+ObW9yA - 私は、長い間考えた末に、日本のようなアジアのはずれの国に、世界に先駆ける何か新しい優れた大思想など
生まれることは、ありえないのだ、という結論に到達した。三十歳ぐらいの時である。イギリス、フランス、 アメリカでまだ実現していないものが、日本ごときで実現するはずがないのだ。私は、人間社会のあり方に 於いて、こういう進化論者(時間進歩主義者)である。日本の知識人がやること、考えること、書くことなんか、 全て、一切合切、輸入学問であり、欧米知識人の猿真似である。そうでしかありえない。 奈良。平安時代も室町時代も江戸時代も、ずっとそうであった。ずっと歴代中華帝国で栄えた思想・宗教の 輸入学問であった。私にとって、これは、もう確信だ。 日本の伝統―それは、文化の劣性遺伝子だ、と吉本隆明が書いていた。あの頃の吉本だったら、 私は今でも信じている。 副島隆彦「日本の秘密
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812 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2010/01/14(木) 04:24:19 ID:5+ObW9yA - 音楽やら芸術の教養を積んだ日本人ならたくさんいる。相当な経験と知識量の人々がいる。ところが政治
思想が分からない。そもそも世界基準での政治思想の初歩さえ全く分かっていない人間の群れが、私たち 日本人なのである。世界基準での音楽の素質や各種の芸術に対する教養人が日本にはたくさんいる。 だから決して無教養ではない。ところが政治思想(ポリティカル・ソート)というのが全く理解できて いないのが知識人、学者を含めて日本ののエリート階層である。だから、「深い教養がみについていれば 欧米人と対等に付き合える」という言い方だけは日本でも言われてきたが、ちっともうまくいってない。 「日本人は世界基準での政治思想なるものが系統だって分かってないから、アジア諸国の知識人たちほど にも欧米人から対等に相手に扱われないのだ」とはっきり気づき、公言する日本人は私以外には、まだ いないはずである。 少なくとも、十八、十九世紀のイギリスの大思想家であるジョン・ロック主義(ロッキアン)と、 エドマンド・バーク主義(バーキアン)と、ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)の、 この三派の大思想の大柄の対立ぐらい、しっかりと分かってないと、向こうの高校生並みにさえ 扱ってもらえないのである。日本の文科系の知識人の思考にはとにかく「論理に系統性」がないのである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
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