- ミャンマー(ビルマ)情勢総合 2
524 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 16:41:50 ID:/3O48k4u - 2007-09-30 あの時代と同じ構造
いきなり秋が来ましたね・・ さて、ミャンマーの件の続き。この件、いろいろ考えてしまう。 理由は、自分が一度訪れた時の記憶がそれなりに鮮明な国だから、というのと、この前、下山事件の本を読んだから、ということ。 下山事件と何の関係が?と思われるかもしれませんが、時代が一緒なんです。 そして、あの時代、1950年くらいに起こったことというのは、基本的に同じ構造なんだよね。 ★★★ ビルマはイギリスの植民地でした。ヤンゴンの建物もイギリス諷のものが多いです。 また、20年前にちきりんが訪れた時でもTOEICの練習本が売られているなど“英語宗主国”の名残の強い国でした。 戦争が終わった際に、列強の植民地エリアであった(日本を除く)アジアの国々は、一斉に植民地支配から“民族独立”します。 敗戦国日本から独立した朝鮮もそうだし、列強がとりあっていた中国もそう、フランスのベトナムとかも同じ。 そしてビルマもイギリスから独立した。 ほぼ同時に、東西冷戦が始まる。これらの独立したばかりの、よちよち歩きの国を、「どちらの陣営に引き入れるか」、 別の言い方をすれば、親米政権=反共政権を作るか、反米政権=共産政府を作るか、というのが、英米とソ中の最大の関心事になった。 ご存じのとおり、この動きの中で朝鮮もベトナムも南北での取り合いになり、その国土は焦土と化した。中国も海峡を挟んで大陸と台湾にわかれて対峙することになりました。 ★★★
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525 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 16:44:53 ID:/3O48k4u -
地理的に中国、ソビエトに近いと親共産主義政権=反米政権が勝つわけで、ラオスもビルマもベトナムも社会主義政権になった。 米国はベトナムを死守しようとしたけど、ご存じの通り泥沼にはまり撤退を余儀なくされた。 だからラオスやビルマにも兵を送って直接支配ってことはしなかったけど、水面下では、どこの国においても、ひつこく「反政府勢力」を支援してきた。 この反政府勢力というのが、ビルマではアウンサンスーチー氏などのグループになるわけです。 圧倒的な財力で反政府グループを支援し続ける米国側の主体がCIAです。 このCIAのミッションというのは“地球上から共産主義者を抹殺すること”です。そして世界中の国に、親米的な政権を樹立することです。 そう、ここで“下山事件”とつながるわけ。 岸信介を巣鴨から釈放して公職に復帰させるのも、アウンサン一家を支援するのも、CIAの本来業務ということです。極東政策、という分野のね。 ★★★ 基本的に共産主義体制を選んだ国々は皆苦労した。なんたって親分が失敗しちゃうわけだから、子分の国々はどーすりゃいーのよ、という感じだ。 その中で、中国やベトナムのように“開放政策”で巧く乗り切ろうとしている国もある。キューバやミャンマーのように、経済成長を諦めて閉じこもる国がある。 今回のミャンマーのデモの報道で、とても本質的な一言がある。それは「石油価格の暴騰などに抗議した市民のデモが始まった。」 と報道されていることだ。これは、何気ない言葉ですが、極めて重要な意味を持つ。 例えば、日本の昔の学生運動であるとか、そこから15年くらい遅れて起こっている韓国の学生運動とかは、すべて「権力への抵抗運動」です。 別に狂乱物価に怒ってデモをしたわけではない。昔の米騒動とは違います。 これらの運動は「独裁政権」や「強権政治」「政治の横暴」に対しての抵抗運動でありデモだった。つまり、まさに「民主化要求デモ」なんです。 一方、今回ミャンマーで起こったのは「反政府運動」でも「軍事政権に反対するデモ」でもありません。 石油価格の高騰に生活を圧迫された市民を僧侶が支援した「生活デモ」です。「米騒動」です。 石油の価格が安定していたら、彼らは今の政権でもなんでもいいんです。デモは起こっていなかったでしょう。
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526 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 16:48:07 ID:/3O48k4u -
この違い、伝わってますでしょうか?市民は軍事政権を倒すために立ち上がったのではなく、生活が苦しくなったので立ち上がったんです。 問題は、政権の成り立ちや政治のやり方ではなく、経済運営の失敗にある、ということなんです。 そして、西側諸国に敵対してきた政権にとって、このご時世で経済運営に成功するなんて不可能じゃありません? どうやって数年で5倍の価格になった石油を安定供給できるでしょうか?親分のソビエトはもう共産主義の子分を助ける気などさらさらありませんし。 とうわけで、彼らに許された途は二つしかありません。市民に困窮を強いても反米政権を維持するか、もしくは、親米政権に鞍替えし、代わりに経済援助を受けることです。 ★★★ ベトナムでもビルマでも、またカンボジアでも感じたこと。そして、今まさに韓国の動きも同じだと思うのですが、 この「親米」か「反米」か、ということが、民族主義の思想とリンクしています。 「親米=民族主義を捨て、西側傀儡の政権になる」、「反米=民族の自立」というリンクです。 こう書くと、韓国だのベトナムだのって呑気なこと書いてる感じじゃないですね。日本だってまさにそうでしょ? 親米政権というのは、米国におもねる政権であり、民族自立の否定につながりやすいコンセプトなんです。 日本みたいに、それなりの経済力のある国でも「親米」=「アメリカの腰巾着」みたいになるわけで、 ビルマみたいな小国にとっては、「親米」=「アメリカの基地提供国になる」以外のなにものでもありません。 それを否定すると、すなわち民族の自立を一定以上重んじると、反米的な政権とならざるをえず、 そして、それを支援してくれる国が中国とソビエトしかなかったという時代のために、社会主義的な政権にならざるをえず、 また、経済的に封鎖されてしまうために、選挙で政権を選ぶことができなくなる (経済に成功しない政権は選挙では選ばれないので)=軍事政権的な性格にならざるをえない、という順番です。
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527 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 16:50:54 ID:/3O48k4u - ★★★
今回のデモは「生活苦デモ」です。国際的な格差社会の底辺にいる国が生活のために立ち上がっています。 でもこれを「民主化要求デモ」にすり替えたい人達がいます。 そして左寄りで反米的な政権をひっくりかえしたいと思っている人がいます。 これを“謀略”と呼ばずしてなにを謀略と呼ぶ?という感じです。 しかし、この国が親米政権になるということは、ミャンマーがアメリカの基地になるということです。 で・・・それを好ましく思わない国で、最近かなり経済的に潤っている国が、世界には二つあります。 CIAはアウンサンスーチーさんを“水面下”でしか支援しません。 自分たちのイメージがよくないことを理解しておりおおっぴらに活動しません。それはもうひとつの陣営の二つの国も同じです。 西側から完全に無視されていた政権が、まがりなりにもこんなに長く崩壊しなかったのはなぜでしょう? 当然、“あそこ”と“あそこ”がこの政権を支持していたからです。 しかしながら、ここ数年、石油価格の高騰は異常なレベルで発生しました。 これだけは、その全額を補填することができなかった、ってことなんでしょう。 ちきりんが恐れるのはただひとつ。またしても罪なき人達が、あの兵士達も含めてです、 大国の領土ぶんどり合戦のために、長い暗い戦争に巻き込まれていくことです。 今のデモが一定レベルで事態収拾されなければ、何が起こるかは火を見るより明らかです。 この領地ぶんどり合戦は、昔は朝鮮戦争とかベトナム戦争という“わかりやすい形”で行われました。 今は「内戦状態のアフガン」とか「治安のひどいイラク」という形で行われます。 これだと、その裏に何の力が働いているかが、わかりにくいからです。 “民主国家”である西側諸国では、“戦争”にしてしまうと自国民の反対が大きくなりすぎるから、ミッションが遂行できなくなっちゃうからです。
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529 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 16:56:26 ID:/3O48k4u - アフガニスタンの内戦がこんなに長い間、世界の人達が忘れてしまうほどに長い間とまらないのはなぜでしょう?
イラクが平定できないのは、アメリカの軍事作戦のミスだけがその理由でしょうか? アフガニスタンやイラクの地理的な位置を世界地図でもう一度見てください。 この国々を「米軍基地の国」にしたくない国で、最近お金がウハウハある国が、ゲリラ達に、テロ達に、武器や資金を裏で支援している可能性はないでしょうか? CIAがアウンサン一家を支援しているのと同じように・・・ ★★★ アフガニスタンにカルザイさんという人がいます。ちきりんバリのカラフルな民族衣装(?)を着てる、 アメリカがアフガニスタンの政権トップに据えたおじさんです。 英語を流暢にしゃべる洗練されたこのリーダーは、アウンサンスーチーさんととてもよく似ている。 日本には天皇家があって本当によかったと思います。 軍部も一般民衆も、両方がシンボルとして敬うことのできる象徴が、日本には存在していた。 あの時日本に昭和天皇が存在しなければ、アメリカはマッカーサー撤退時に、カリフォルニアあたりから 「日系2世の英語バリバリのエリート日本人ぽく見える人」をつれてきて、日本の首相として据えていたでしょう。 カルザイ氏と同じようにね。韓国最初の大統領の李承晩も同じ。「アメリカの言うとおりにする、アメリカナイズされた、 でも、血と外見だけはその国の人」というのを、アメリカから連れてきて大統領にし、ガンガン経済援助して、 国民に「ああ、この政権でよかった!」と思わせる。いつの間にか国土は米軍基地だらけになってしまうけれども。 あまりにもワンパターンの国である。イラクでは失敗してるみたいだけど。
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585 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2007/10/06(土) 19:47:27 ID:/3O48k4u - 何で実際に東南アジア滞在経験のある連中の経験からくる率直な意見に
「人権」「民主化」という絶対善のキーワードに酔いしれたいだけの厨が 必死にネット検索した頓珍漢な珍答出して偉そうに説教垂れてんだろ? サヨでももう少し利口な奴は多いと思うが 理論よりも優越感を求めて左に走った類の左の最下層タイプだからか
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600 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 22:33:51 ID:/3O48k4u - 『スー・チー女史が「希望の星」という「ミャンマー報道」は間違っている』
週刊新潮 07、10,11 元ミャンマー大使 山口洋一氏の指摘 ・抗議デモについて・・・「今回の反政府モの規模について、日本の全ての新聞は10万人と報じてきましたが、 テレビ映像を確認する限り、明らかに誇大な数字です。・・・水噌しするのは、今回に限ったことではありません。 私が大使だった時代、ウンザン・スー・チー女史は、毎週末、白宅前の道路で集会を開いていました。 日本のメディアは、そこに集まる参加者を、3000〜4000人と報じていました。 ところが、私が部下に数えさせたところ、実際は、500〜600人しかいなかったのです。 意図のあるなしを別にして、メディアは、反政府運動の規模を5〜6倍、酷いときは10倍にしたわけですですから 10万人規模のデモという数字は甚だ信憑性に欠けるのです。」 日本のメディアは、ミャンマーの国営放送が繰り返し、「NLD(スー・チー女史が率いる政党)が市民に金を払ってデモに参加させている」「デモ隊が投石し、武器を奪おうとしたので、治安部隊が止む無く発砲した」 と、放送していることを、殆ど伝えようとはしません。 実際、デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、言葉は悪いですが、 その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NLDから全銭の提供を受け、動員されているのは事実なのです。 また、ある地方では、僧侶が治安部隊を僧院に押し込め、その車に火を放つといった、 およそ「平和的な抗議活動」とは思えない振る舞いを見せたそうですが、このことも日本のメディアではまず報じられないのです。」 ・ミャンマーの法律・・・「道路や公園などの公共の場所で5人以上の政治目的の集まりは禁止」 「屋内おける50名を超える政治集会は許可制」 ・スー・チー女史の挑発・・・「この法令を逆手に取ったのが軟禁中だったスー・チー女史で、彼女は、自宅に広大な庭があるのに、 わざわざ演説集会を自宅前の道路で開き、野次馬を集めて政府を挑発しました。 治安当局が集会を庭で開くように指導しても 聞き入れず、もし取締りを行おうものなら、「民主化を妨害している」 と、国内外のメディアに声高に叫んて見せたのです。」
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601 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 22:37:18 ID:/3O48k4u - ・アメリカと結託 ・・・「スー・チー女史がアメリカから、資金的、物的な援助を受け、さらに政治的な指示を仰いでいることが広く国民に知られてしまったからです。
実は、イギリスの植地時代の苦い経験から、ビルマ人ほど外国勢力との結託に嫌悪感を抱く国民はありません。 スー・チー女史は、私が大使時代、アメリカの国務長官だったオルブライトと朝な夕なに連絡を取り、軍政に抵抗するよう指導され、 アメリカの政府や支援団体から資金や物資の提供も受けていたのです。」 ・国民のスー・チー女史への失望・・・「軍政打倒を叫ぶスー・チー女史の口から具体的な国家ビジョンを聞いたことは、 一度もありません。 それに気付いた多くの国民は彼女に失望し、スー・チー離れや反スー・チーという感情が国民の間に生じたのです。 その証拠に、96年、ヤンゴン市内でスー・チー女史の乗った自動車が.暴徒に囲まれ、立ち往生する事件がありました。 彼女の身に危害が及ぶ寸前、警官が暴徒を排除し、守ったのです。怯えた彼女は政府に自分の保護を要請しました。 ですから、自宅前に警官が3〜4人、警護に当たっていたその後の軟禁には、閉じ込めると同時に守る意味合いも含まれているのです。 しかし、そういうスー・チー女史に不利な事実は一切、報じられていません。」 悪の権化といわれる軍政の実態・・・「ポル・ポト政権下のカンボジアやマルコス政権時のフィリピンとはまるで異なります。・・・ 88年当時、国内では18の少数民族が、反政府の武力闘争を繰り広げていました。 首郡に住む市民でさえ、日常的に銃声を耳にしていたぼどの激しい内戦たったのです。 軍政の最大の功績は、この血で血を洗う内戦をほぼ全面的に終結させたこと。 ミャンマーでは年間に5〜6人の死刑判決が下されますが、現在の軍政が誕生して以降、執行された例はない。
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602 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2007/10/06(土) 22:38:17 ID:/3O48k4u - ・ミャンマーの一般国民・・・「現状をベストとは思っていないものの、民主化への中間段階としては仕方がないのと捉え、容認しているのです。・・・
植民地化や独裁という複雑な歴史を背負ったこの国では、今日、明日に完全な民主主義が定着することはまず不可能です。 準備が整っていない所に形だけの民主主義を持ってきても、政治家は利権漁りに狂奔し、有権者は買収され、早晩、破綻するのは目に見えています。 それがわかっている軍政は、まず民主主義の準備期間、つまり一定限度の軍による政治への関与を残した「踊り場の民主主義」を作り、 ワンステップ置いた後に、最終段階へ進んで行こうと考えているのです。そしてミャンマー国民は、それを理解しているのです。」
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