- 南京大虐殺ってどの位習った?2
636 :核心 ◆3LoJ1r4Lek []:2007/08/24(金) 09:03:21 ID:yySC5R/l - 最近、「南京の氷雨」を読み、65連隊に第二虐殺現場があったことを知ったのですが。
その虐殺の模様が以前、指摘した「南京大虐殺研究札記」の小俣行雄氏の記事と一致します。 以前、掲載した内容ですが父(栗原利一)が関係した虐殺ですのがもう一度引用しておきます。 ”...そこで、揚子江の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。 日本兵は捕虜を一列にならべて首を切った。 最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を揚子江に投げ込ませて、 それから前と同じように一列にならべて処刑した。 こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。 −彼らの話はまだつづく。 二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。 二台の重機をすえて十字砲火を浴びせた。 河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。 捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...” (『侵略−中国戦線従軍記者の証言』現代史出版会) この最初の日の斬首行為に父が参加していたという話は以前した通りです。 これが「南京の氷雨」の65連隊の第二現場の虐殺の模様だと思われます。 収容所が一つか、二つかですが捏造派が人数を少なくする傾向にあることを考えれば 人数の多い一方の収容所だけを取り上げたとも考えられます。 また、収容所が一つだとした場合には父が火災を全く「作り事」と判断していることから考えると、 父は第二現場の虐殺に参加していたために知らなかったとも考えられます。 ただ阿部氏のストーリーは両角ノートに辻褄をあわせるように仕立てられていますので 第二の収容所があって、そこに全体の捕虜数から幕府山の捕虜数を差し引いた数の捕虜が収容されていた、と考えたほうが全体の整合性が取れると考えています。 いずれにしろ「南京の氷雨」の第二現場も処分(=虐殺)であったと考えていいでしょう。
|
|