- 日韓併合時代(1910-1935)の朝鮮詩を覚えよう [無断転載禁止]©2ch.net
12 :名無氏物語[]:2019/04/21(日) 18:54:41.92 ID:hIEpLgAu - <創氏改名は朝鮮人の希望・奥野氏証言>
かつて自民党総務会で、野中広務が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した 麻生太郎を糾弾したことがある。 そのとき奥野が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が 言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。 そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。 判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで 中座して出ていってしまった。 横で聞いていた野呂田芳成は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を 聞かせていただきました」と感激していた。 ソース:「別冊正論」 第一号 奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - )は、日本の内務官僚、 政治家。「おくの せいりょう」と呼ばれることもある
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13 :名無氏物語[]:2019/04/21(日) 18:55:22.74 ID:hIEpLgAu - <創氏改名は朝鮮人の希望・奥野氏証言>
かつて自民党総務会で、野中広務が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した 麻生太郎を糾弾したことがある。 そのとき奥野が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が 言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。 そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。 判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで 中座して出ていってしまった。 横で聞いていた野呂田芳成は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を 聞かせていただきました」と感激していた。 ソース:「別冊正論」 第一号 奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - )は、日本の内務官僚、 政治家。「おくの せいりょう」と呼ばれることもある
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