トップページ > 古文・漢文 > 2012年10月06日 > YszHIVbb

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康煕
漢字の字体はどうあるべきか

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漢字の字体はどうあるべきか
422 :康煕[]:2012/10/06(土) 00:06:18.44 ID:YszHIVbb
「般若心経」の漢訳は、玄奘が最初ではなくて鳩摩羅什(343〜412年? )で、
玄奘は、645年に唐に帰国して漢訳を始め、「般若心経」は649年に完成した
とされています。

さて、ご案内の欧陽詢(557 - 641年)の「般若波羅蜜多心経」には、
貞観九年十月旦日唐歐陽詢書(635年)と記されていますから、
玄奘が唐に帰国する十年前に書かれたものです。
漢字の字体はどうあるべきか
423 :康煕[]:2012/10/06(土) 00:07:52.10 ID:YszHIVbb
若い頃に習った「集字聖教序(崇恩旧蔵本)」が手元にありますので、
玄奘の「般若心経」と、欧陽詢(557 - 641年)の「般若波羅蜜多心経」とを
比較してみました。

「色」の字体が異なる。
玄奘訳は、依が抜けている。菩提「土垂」。(依) 般若波羅蜜多。
「藐」の字体が異なる。玄奘訳は「艸冠」の下が「狠」で
鳩摩羅什の字体となっている。
「切」の字体が異なる。「土刀」、玄奘訳は「十刀」。
「掲帝」が、玄奘訳は「掲諦」となっている。
「薩」が、玄奘訳は「莎」となっている。

これぐらいの僅かな差異ならば、欧陽詢の「般若波羅蜜多心経」も
やはり玄奘の漢訳と考えたほうがよいのでしょうか ?
欧陽詢の楷書の書風は、もっと縦長のスマートな字形で、
「般若波羅蜜多心経」は少し扁平な印象を受けますが・・

我が国に将来されたのは集字聖教序 (玄奘漢訳の般若心経)で、
書道の手本とされ、三蔵法師の伝説とともに広く普及します。
また、春の四国路のお遍路さんは「掲諦、掲諦」と唱え、
西遊記にあやかって旅の安全を祈念するのです。

さて、本題の「顴」「遠」の字体、「若と苦」、できれば「藐」も
じっくりと資料で確認をしてから、ご報告いたします。
篆書のように少ない発掘物に頼るよりも、楷書の変遷のほうが
字体の話題として楽しいですよね。


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