トップページ > 懐かし洋画 > 2018年02月17日 > l9eU5r4x

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無名画座@リバイバル上映中
愛と哀しみの果て − Out of Africa −

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愛と哀しみの果て − Out of Africa −
98 :無名画座@リバイバル上映中[sage]:2018/02/17(土) 19:54:39.81 ID:l9eU5r4x
アフリカ的段階について―史観の拡張
単行本 – 1998/5 吉本 隆明 (著)
)土地も財産も人びとの生命(生殺与奪権)も……一手に握る王がいるが、疫病がはやったり、不都合な出来事がつづいたりすれば、王は人びとに殺されてしまう。
。《この意味では王は裏返された絶対奴隷だともいえた》(

《近代主義的な歴史観では、近代主義的な視野の外に出てしまう未来と、近代主義的な視野の外に出てしまう大過去とは、おなじように、不明の領域として歴史の圏外におかれてしまう》(5ページ)
マルクスは、<原始共同体→アジア的段階→古典古代→資本制>という発展段階を唱えたが、吉本は、この流れの<初め>と<終わり>に、さらにもう一段階を付け加えようと考えたのである。
つまり――<アフリカ的段階→原始共同体→アジア的段階→古典古代→資本制→ハイ・イメージ段階>といったぐあいに

《風の囁きから森のなかの樹々の病態がわかるという木樵りの察知力、穂の垂れ具あいや葉鞘の色あいで、その稲になにが不足かわかるという農夫の察知力のたぐいは、たんなる経験知ではない。
人間やほかの動物とちがって、生命がまったく内在的で、そのためそとからわかる行動をとらない植物みたいな感受性の型を、つまり察知や気づきの型を、これら木樵りや農夫たちは内部に呼びさまされているのだ。
こんなことはもちろん生活知や社会知としては、ちっとも重要なことではない。
だが人間の生命にまつわる知は、否定性を反復=媒介にして現在の存在感にまで到達した。それを体認している意味ではたいせつな識知なのだ》


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