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無名画座@リバイバル上映中
さ  よ な  ら  ミ ス ワ イ コ フ2

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さ  よ な  ら  ミ ス ワ イ コ フ2
151 :無名画座@リバイバル上映中[]:2010/10/22(金) 12:27:07 ID:yoXXCGDg
昭和の鉄道30年時刻表を立ち読みして驚いた。

上野発 盛岡行 急行みちのく 201レ

上野 土浦 水戸 日立 湯本 平 と停車して、
原ノ町までの唯一の停車駅が、 末続 でした。

時代の流れですかね、今では単なるローカル駅のひとつですね。


当時の上野−青森間の優等列車の上下列車交換は、ダイヤ構成上どうしても平−岩沼間の
単線区間に集中するので、末続のような小駅で運転停車という事態も頻繁に起きている。
当時の最優等急行みちのくが運転停車しなければならない列車と言えば、当然はつかり以外にはない。
ちなみに当時の夜行急行も、富岡や大野や小高や坂元や山下あたりに運転停車している。
だけど、実際の平以北での急行の客扱い駅は原ノ町のみ。

昭和30年代の時刻表は、運転停車時刻も記載されていたから紛らわしくてしょうがない。
例えば、浪江の急行初停車は昭和34年改正での急行みやぎのだけど、昭和32年の時刻表を見ると、
急行いわて(上野−青森間寝台急行)の上下列車とも浪江に時刻が記載されている。
(これは夜行寝台急行同士の列車交換のための停車)

時刻表に運転停車時刻記載が無くなったのは、昭和37年の有名な「能生事件」があってから。
昭和37年に北陸線に初のディーゼル特急白鳥が誕生し、時刻表の能生に停車時刻が載ったから
能生町は特急停車に決まったと大騒ぎとなり、ダイヤ改正当日には町民多数が駅に集まって、
盛大にお祝いをし、停車した白鳥の運転士に花束を渡したのはいいけど、ドアは開かず、
対抗列車と交換するとそそくさと発車してしまい、町民唖然とするという笑えない事件。
当時の時刻表を見るたび、そういう事がそれ以前にも頻発していたのではないかと思うんだけど・・・・

当時の国鉄の運転停車・客扱いの方針は一貫したモノとは言い難く、
機関車交換を要する長時間停車駅では客扱いも兼ねたりということはあったが、
常磐線の急行の場合、線内利用というより上野−仙台以北間の長距離利用客が主体の列車だから、
単線区間の平−岩沼間で運転停車=客扱いにはならない。
それは、鉄道管理局の立場から言えば「準急も停まらない駅に、急行が運転停車したからと言って
客扱いしないのは常識で判断できるだろ」といういかにもノンビリした認識だったモノと思う。
能生事件では、当時の国鉄中部本社や金沢鉄道管理局がそういう認識だったらしい。

ちなみに、昭和40年に入ってすぐの時刻表を見てみると面白い。
昭和30年代まであちこちで見られた平以北の停車時刻表記が一斉に消えている。
(つまり本来の停車駅の原ノ町(一部列車相馬)以外の時刻表記のみ)
単線であり、列車本数も増えているのに運転停車時刻が時刻表から消えたところを見ると、
やはり能生事件の影響で、誤認を避けるため運転停車時刻は削除したモノと思われる。

今の時代感覚で、当時のモノを見てはいけないよ。
当時は常磐線ですら急行が日に6本しか無かった時代(そのうち5本は夜行寝台急行)
だから準急すら止まらない駅に、急行が止まらないなんて言うのは常識中の常識。
今の感覚で見れば、客扱いしない時刻を堂々と表記することは信じられないことだけど、
当時はそれと同じくらい、「急行に乗る」と言うことは非日常的行為だったわけだから。
さ  よ な  ら  ミ ス ワ イ コ フ2
152 :無名画座@リバイバル上映中[]:2010/10/22(金) 12:27:59 ID:yoXXCGDg
急行みちのくの場合で言えば、石岡、勝田、常陸多賀、泉などの準急停車駅ですら止まらない
最速急行なのに、いくら運転停車とは言え末続のような小駅で客扱いするわけないないだろう
という、常識的判断に委ねられていたわけだから、いかにも牧歌的なノンビリした時代だったとも言えそう。

でもね、現在の常識的感覚で考えてみても、
急行停車駅末続、富岡、夜ノ森、大野、浪江、小高等々(運転停車でも客扱いすれば立派な急行停車駅)は、
急行が1本も停車しない石岡、勝田、常陸多賀、高萩、泉等々より常磐線の運転上は格上駅になる
ということはおかしいでしょ?
当時の急行停車駅は厳選に厳選を重ねて、速達性重視で選ばれていたわけだから。
(それは当時の時刻表を見れば一目瞭然)
もし昭和30年代から平以北の現在無人駅ですら、勝田や高萩や泉より格上の
急行停車駅として君臨していたなら、平以北民としては正直嬉しいんだけどね( ^ω^)

ちなみに、昭和34年8月改正で登場した急行みやぎの(上野−仙台間、キハ55系)で
初の急行停車駅となった浪江は、駅前広場に「祝・急行停車みやぎの号」という看板が立てられ、
提灯で駅舎が飾られ、改正当日は駅に町民有志が集まって、能生事件と同様に
みやぎのの運転士に花束贈呈などのセレモニーを行なっている。
それは浪江の町史等の史料にも写真入りで掲載されている。

それ以前から時刻表の浪江に時刻記載されている、急行いわてに関しては何の記録もないし、
おそらく浪江駅での案内板には、急行いわての時刻表記は無かったモノと思われる(当然、いわてに乗車は不可)

能生事件の場合は、時刻表の誤表記で上り白鳥の能生での運転停車時刻が載ってしまったとかいう事だが、
たしかに当時の時刻表を見る限り、「特急列車」の運転停車時刻は一切記載されていない。
だから、はつかりの場合も上下列車がどこかで交換しているはずだが、運転停車時刻の記載がないから、
もしかしたら通常の停車駅で交換したか、特急の場合の運転停車は時刻表記載にはしなかったのかのどちらかだと思う。
その点で言えば、白鳥の能生での運転停車時刻記載は、時刻表編集上の誤表記と言える側面もあるけど、
これが「急行列車」のケースだとまるで異なる。

例えば、昭和32年10月(特急はつかり誕生前)の時刻表を見ると、当時の最速急行みちのくは
上野−土浦−水戸−日立−湯本−平−原ノ町−仙台・・・・・・と、限りなく停車駅が厳選されている。
(当然これらは通常の客扱い停車駅)
ところが、昭和33年10月にみちのくより優等列車の特急はつかりが誕生し、当然みちのくの方に
列車交換のための運転停車がどこかの駅で生じるわけだけど、それが時刻表を見ると末続だと明確にわかる。
だけど、上記のように常磐線内でも6駅しか停車しない最速急行が、運転上の都合で停車を余儀なくされた
小駅で堂々と客扱いをしたとは到底思えない。
能生事件での国鉄中部本社は「準急すら止まらない駅に特急が止まらないのは常識でわかるだろ」という
認識だったらしい、そういう国鉄内部の認識が存在するならば、
特急はつかりが誕生する前は当たり前に通過だった末続が、列車交換の停車で客扱いを普通にしたとは考えにくいし、
さらに昭和38年頃にもなると、時刻表にはみちのくの末続停車時刻はたしか消えているんじゃなかったかな?

常磐線の急行の本数も増えてきて、急行利用者が増えて来るにしたがい、
時刻表からも運転停車時刻の表記が消えて、昭和40年頃になると平以北の急行の停車駅は
本来の停車駅原ノ町のみの表記になっている(一部列車は中村(相馬)にも停車)
当時はどんな小駅でも駅員が配置されていた上に、通票閉塞の時代だから、
ホームに急行が運転停車していれば、駅長なり助役なりがホームにいるのは当たり前で、
運転停車駅で客扱いしない列車に不正に乗車下車などできる状況ではなかったと思う。

時刻表に運転停車時刻記載されてるのは、国鉄側の事情と言うより、
発行元の交通公社が国鉄から得たダイヤ情報を客扱い停車・運転停車の選り分けを
しないまま、ただ単純に掲載していただけなのではなかろうか?
少なくとも、国鉄が何らかの目的で一般客用の時刻表に運転停車時刻を意図的に
掲載させたとは考えにくい。


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