- 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ
112 :名無しを整える。[sage]:2017/11/25(土) 07:18:31.15 ID:z75rdeGZ - ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、12、二種の観察 【「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?】(以下【B】繰り返し) 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。【A】(>>109) 728 世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとずいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。 【B】『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。【A】 729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。 730 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。 【B】『およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。【A】 731 およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力を縁(原因)として起るのである。諸々の潜在的形成力が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。 732 「苦しみは潜在的形成力の縁から起るものである」と、この災いを知って、一切の潜在的形成力が消滅し、(欲など)相を止めたならば、苦しみは消滅する。このことを如実に知って、 733 正しく見、正しく知った諸々の賢者・ヴェーダの達人は、悪魔の繋縛にうち勝って、もはや迷いの生存に戻ることがない。 【B】『およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(識)に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら識別作用が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。【A】 734 およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起るのである。識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということはあり得ない。 735 「苦しみは識別作用に縁って起るのである」と、この禍いを知って、識別作用を静まらせたならば、修行者は、快をむさぼることなく、安らぎに帰しているのである。 (´・(ェ)・`)つ
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113 :名無しを整える。[sage]:2017/11/25(土) 07:48:07.62 ID:z75rdeGZ - >>112
728 生存の素因(生存の基礎)に基づいて苦があるということ。 第一の観察は生存の素因(生存の基礎)によって苦が生起すること観察すること。 第二の観察は生存の素因(生存の基礎)がない時、苦がないことを観察すること。この二種の観察を正しく、怠らず、つとめ励んで、専心すれば、慧解脱か心解脱が出来て、輪廻を終滅できるということ。 生存の素因(生存の基礎)とは何か具体的に考える。四聖諦の教えから言えば、渇愛。 渇愛とは、喉の渇いた人が水を求めるように、欲望の対象を求める気持ち。第一の観察はこの渇愛がある時、苦が生起すること。 第二の観察はこの渇愛がない時、苦がないことを観察する。このことを知って、生存の素因(渇愛)を作らないようにと述べられている。 729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。無明があるから輪廻を卒業出来ないで、本人は自覚してないが、そのために苦しんでいる。 730 如何なる苦もすべて無明を縁にして現れるのだということ。それを観察することが第一の観察。そして無明が残りなくない時は苦がないということを観察するのが第二の観察。 無明というのは大きな迷い。これによって輪廻を長いこと繰り返している。この無明を克服して、明智に達した人々は輪廻を繰り返すことはない、もう生存には戻ってこないと述べられている。 四無明、1.苦を知らないこと。2.苦の原因を知らないこと。3.苦の滅を知らないこと。4.苦の滅に至る道を知らないこと。 すべての煩悩のもとには無明がある。無明は煩悩の原因。無明がなければすべての煩悩はない。無明は煩悩の王様。無明をつぶせば、すべての煩悩をつぶすことになる。すべての煩悩がなくなれば苦しみはなくなる。 731 732 733 730 731のテーマは、無明、潜在的形成力(行)、732のテーマは識別作用(識)であるから間違いなく十二支因縁の順番。すべての苦は無明を縁として生じる。 無明から自動的に、無明を縁にして潜在的形成力(行)が生じる。 潜在的形成力(行)を縁にして苦も生じる。 732潜在的形成力によって(欲など)想(saサンニャー)が現れると述べている。想を止めると、欲がとまるので、苦が消滅する。 (相、lakaa、仏教用語。特徴,特質,様相,形相という意味。仏教では,体 (本体) ,用 (作用) ,相の3語が組みになって用いられるが,この場合の相は,見られるものの姿を意味する。) 「潜在的形成力」はパーリ語のsakhraの訳。「行、有為の法、事象、術語としては十二支の第二支、及び五蘊の中の行蘊、十二支の行は身、語、意の行をいう。」身心を突き動かす力(衝動、内的衝動、習慣力、慣性)。 五蘊で言えば五蘊を形成する力、十二支から見ると次の識(認識)を準備するもの。意思あるいは衝動と思ってもよい。 733偈の悪魔の繋縛(けばく)。悪魔は欲界(輪廻の世界)の支配者であるから、欲の支配下に置かれること、欲の奴隷になっていること。悪魔は欲の象徴と考えてもよい。 734 735 テーマは識別作用(識)。無明を縁として潜在的形成力(行)が生じ、潜在的形成力を縁として今回の識別作用(識)が生じる。これは十二支因縁の教え。 識別作用(識)を縁にして苦が生じる。 識別作用はviaの訳。この言葉は、識、意識、認識、区別して認識すること、識別すること、知ること、分かること等の訳語が使われる。 術語としては、1.十二支因縁の第三支、2.五蘊の一つ、3.六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)の識。 何故この識別作用が苦になるのか。識別作用は生命の持つ本能(死にたくない、なんとしても生きたい、苦を避け、楽を求める等の本能)により、真実から離れてしまうという欠点があるからだと思われる。 真実から離れた認識は誤謬であり、その誤謬が苦を生み出す。その欠点を避けるために、識別作用を静め、「修行者は、快をむさぼることなく、安らぎに帰している」。 (´・(ェ)・`)つ 鬼和尚、732は、何気ない行為や衝動によって「欲」が生じることがあるとを言ってるだけでありましょうかね?
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115 :名無しを整える。[sage]:2017/11/25(土) 21:42:58.00 ID:z75rdeGZ - >>114
鬼和尚こんばんは。 お釈迦さんは、詳細に何でも分析して解説できる、超賢い人だったのでありますね! (´・(ェ)・`)つ
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