トップページ > 自己啓発 > 2015年10月03日 > DByDdPC5

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名無しを整える。
読んだ自己啓発書の記録とか感想を書いてくスレ 2 [転載禁止]©2ch.net

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506 :名無しを整える。[]:2015/10/03(土) 19:44:51.67 ID:DByDdPC5
まぁだいぶ怪しい、共演者の今井雅之とか急死してたり
気功の苫米地の師匠とやらも娘が若くして亡くなってる。
苫米地のいう内部表現の書き換えやら、気功やらができるのならできたことも出来てなかったり
自慢のコーチングとかみても何年に受けた中島知子の迷走っぷりから怪しいな

昔の過去ログとか漁るとセミナー参加者が苫米地の技術とやらは苫米地自身も使えないとか
セミナーは金持ちのお遊戯会とかなんとか
苫米地はデカイ口たたいて肩書き増やしてるばっかで土壇場に立たされると保身に走って何もできないイメージかな

できるか、できないか曖昧にして、信者の期待を膨らませるある程度説得力のある理論や論理をならべて
セミナーで稼ぐって感じじゃね
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509 :名無しを整える。[]:2015/10/03(土) 20:10:54.83 ID:DByDdPC5
苫米地の言動とか行動を見てると5〜6年前から同じ事を焼き直してるだけって感じがする
前の本を読みやすくしたり、ちょっと表現方法変えたり、ちょっと知識を加えたりで
メインの部分は殆ど数冊の本に収まる内容だと思う。

理解力や知識量は読者の元のベースの知識量、思考法、記憶法に依存するところもあるから一概には言えないんだが
苫米地の本を苫米地たくさん読めとか、何度も読めとか書いてるが
苫米地の本の知識は専門性に富んだものというよりは基礎知識や一般教養レベル、雑学レベルの域を出ない
ある程度知的な人なら数冊読めば後の知識は自分の知識と組み合わせたり、考え方を応用するだけで読む必要がないような無駄な本ばかりだと思うけど

千冊バカはたくさん読めとか言ってるのは苫米地に毒されてるせいもあるだろう
あちこち参考書に手を出しても成果を出せない受験生のように、苫米地みたいな薄い焼き直しの本を山のように積み上げて悦に浸る人もいれば
難解な情報量や知識量の多い本を数冊読む事に重きを置いている人もいる。

一般的デキル人と言われるような、量や質と言うものを、考慮して勉強できる人なら、勉強時間を自慢するような量に重きを置いた発言はそんなにしないように
量ばかりにこだわる人の意見は聞かないほうがいいと思う。

苫米地としては自分のを本をたくさん買って欲しいだろうし、たくさん読めば頭が良くなるとか成功できるとか印象付けて、苫米地本をたくさん読む事が良い事のように書いてあった
それは苫米地都合の良い理屈で、読者のためになる理屈ではない
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510 :名無しを整える。[]:2015/10/03(土) 20:35:16.66 ID:DByDdPC5
want toばかりでhave to軽視なのもどうかと思う、want toやhave toどちらかが絶対的に正しいとか
どちらかが劣っているのかとは言い切れないと思う。

want toにはwant toの長所があってhave toにはhave toの長所がある
もちろん短所もある

どちらともの特性を理解して使い分けて目標達成を目指せばいいと思う

たとえばwant toならモチベーションが上がりやすいがhave toはそうではない
逆に言えばモチベーションが上がらなければwant toは何もしないがhave toはモチベーションがなくても
自分に行動を強いる事ができる。

長期的に大きな目標を掲げたり、現実的な目標があるなら、have toであっても必要な努力というのは
避けられない部分があるし、気が向くまでやれなかったりしないために、慣れるまでは習慣にするためにhave toで自分を縛ったり
have toにする事でうまくいく事もあれば
have toで始めた事がいつしかwant toに変わる事もあると思う。

社会に求められたhave toなら社会で生きていく上では必要な部分もあるだろうし
自分を目標達成に向けて縛ったり、自分を制御するためにhave toをうまく使う事と

want toを使う事の特性を理解して自分をコントロールするのがベストだろう、どちらかだけで良いというのは苫米地のいうの事を鵜呑みにしすぎだ

苫米地のいう事は使える部分もあるのだろうが現実的ではないし、読者の能力や立場によってはうまくいくのだろうが
かえって道に迷う人を増やすと思う、これはwant toだけやればいいだとか
洗脳だの音源だので過度な期待を持たせる読者にとって都合の良すぎる論理で書かれ
現実的な不都合な部分を削ぎ落としているからだと思う

この書き方は読者を導き育てるというよりは、信者を増やすために書かれている書き方だと言われても文句は言えないだろう
よく言えば苫米地の理論はシンプルで簡単な論理や理論だが、現実というのはもっと複雑だと1000冊バカは理解すべきだ
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512 :名無しを整える。[]:2015/10/03(土) 21:20:52.63 ID:DByDdPC5
モラトリアムされた学生の時と違って社会に生きればいろんな事がある
have toかwant toが心の持ちようってうのはある意味真理だが

どんな嫌な事でもwant toにできるかというと難しいと思う。それこそ悟りを開かないといけないじゃないか
そもそもどこまでがwant toでhave toなのか曖昧だし
want toとhave toの混じり合った事も多いと思う。

want toとhave toって区切りでみるのではなく
自分の目標や目的のために、必要なのか否かっていう見方でみるのも大事だろうな

want toで目的の達成っていうものの考え方を作ってしまった事も否定的な側面を持つだろうね

苫米地自身がwant toで行動を選択するような事を言っている以上、選択を強いられた時にwantではあるが無駄な事と
have toではあるが目標のために必要な事といった選択や、普段の生活の生き方のとき

want toに流れず、have toで自分を縛る事も必要だということ
大会で優勝したいが、練習は辛くてたまらない、この辛い練習を楽しいと思えるかどうかは難しいと思う。
大会で優勝という目標を掲げて好きな事をやっている人間と、つらいhave toを乗り越えた人間とどちらが強いかは正直
運動などでは多くの場合はhave toを乗り越えた方だと思う

目標はwant toだが目標達成の為の行動はhave toが多い事も道によっては多いだろう
あくまでも目標を決めてそこに向かいたいなら、目標の為に有益か否か、効率的か否か考える思考法が必要だろうな

社会にでたら、want toにせよhave toをやってる人にせよ、ごちゃ混ぜで椅子取りゲームをしないといけない
新しくマーケットを創造したりイノベーションを起こそうにも、その前身となる業界の人達も必死だ、だから新しく椅子取りゲームの舞台を作るのも大変だ
そういった椅子取りゲームや、椅子取りゲームの中で新しい椅子を作る中で人は生きていかなきゃならない。

そうやって生きていく上でwant toやhave toどちらが有益かと絶対的にどちらが正しいか、どちらかだけにするかというのは難しい
運動やスポーツに限らずそういった社会での機能を果たすための椅子取りゲームで、何が必要なのか否か考えていく事が必要だと思う
want to やhave toといった基準で行動決定したり、目標を決定する事も肯定的側面もあれば否定的な側面も多いと思うが
多くの人にとってはwant to やhave toのみで決めるというのはかえって道に迷うと思う。


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