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名無しさん@実況で競馬板アウト
★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★

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★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★
764 :名無しさん@実況で競馬板アウト[]:2013/01/29(火) 19:38:05.05 ID:QkD8LUSKO
武豊騎手は競馬ブックと対立してきた。


競馬ブックサイドは、南井克巳騎手(現調教師)をリーディングにしたかった。横槍を入れたのは武豊騎手だった。

競馬ブック松井淳社長は栗東の競馬勢力拡大に着手したが、武豊騎手の横槍にあい、当時、関西競馬新聞売上bPにもかかわらず栗東のJRA関係者では競馬ブックの発言力がなかった。

栗田勝、高橋成忠、福永洋一、武邦彦、河内洋、田原成貴、武豊、松永幹夫、藤田伸二ら関西の元一流騎手、
伊藤勝吉、武田文吾、伊藤修司、伊藤雄二、服部正利、小林勇、池江泰郎ら元一流調教師も競馬ブックを利用しなかった。
関西の競馬関係者からは競馬ブックといえばブラック企業として
★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★
765 :名無しさん@実況で競馬板アウト[]:2013/01/29(火) 19:52:53.73 ID:QkD8LUSKO
競馬ブックは1980年代まで日本中央競馬会JRAから白い目でみられていたが
、元警察官で資産家の山段芳春(故人)、京都の地方自治を牛耳った野中廣務元自民党幹事長元官房長官、
関西大物馬主と親交が深い秋元貢(元横綱千代の富士)を介在して競馬界の発言力を拡大させた。



競馬ブックは、山段、野中、秋元ら贔屓していた南井克巳騎手と専属契約し、日本の騎手としては初めてのエージェント専属契約を結ぶ。

当時年間10勝しかできなかった南井だったが、競馬ブックとエージェントの専属契約することで年間100勝をあげ一流騎手にのしあがった。

武豊騎手は当時、弱冠19歳で競馬ブックのシステムに抵抗して、芸能界裏方の実力者周防郁雄と共謀して調教師らに圧力をかけ、
関西(栗東)の競馬スタッフを競馬ブック派と反競馬ブック派(親武豊派)に派閥を分けてしまった。

これにより、競馬ブックと対立関係にある調教師は南井に騎乗依頼しなくなり、武豊が20年近くほしいままにリーディングを独占した。
★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★
767 :名無しさん@実況で競馬板アウト[]:2013/01/29(火) 20:21:59.57 ID:QkD8LUSKO
当時関東の第一人者だった岡部幸雄騎手(2005年引退)は武豊に対抗するたむ、アメリカ型競馬原理主義を採用して、関東競馬専門誌競馬研究とエージェント専属契約を結んだ。

1999年南井克巳が引退し調教師に就任、同時期に山段芳春も死去したことで競馬ブックは、存在感を失う。2001年当時自民党幹事長だった野中廣務も小泉純一郎に事実上敗れ、総理になれなかった。

南井の穴埋めとして安藤勝己(岐阜笠松)、岩田康誠(兵庫尼崎園田)、2人の地方出身のエージェント契約を結び2人の中央転向に貢献する。
★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★
769 :名無しさん@実況で競馬板アウト[]:2013/01/29(火) 20:59:32.37 ID:QkD8LUSKO
90年代、関東では競馬研究松澤俊夫のもと藤澤和雄調教師ラインと岡部幸雄ラインを形成したが、2002年藤澤調教師と岡部幸雄元騎手が対立し崩壊した。

関西の若手調教師は騎手の経験が殆どなく、長老調教師に対抗するため、吉田照哉(社台グループ代表)と競馬ブックによりすがるようになる。


1994年南井克巳のエージェントを担当した内炭重夫(故人、競馬ブック元副社長)、松本晴夫局長の部下であった小原靖博が2人のもとで修業し、
小原は、短期的な管理能力と長期的な展望力が必要にたけていたとされ栗東の若手調教師や若手騎手の間で評判が急上昇し、武豊包囲網を形成した。


朝の調教後は若手調教師、騎手が列を成して競馬ブックの若手記者・小原靖博を取り囲むのが栗東の風景になった。小原靖博のエージェント手数料は1流騎手の場合、最低2000万円以上とされている。

まず、岩田康誠騎手、四位洋文騎手が小原靖博とエージェント契約を結び、やがて不振にあえいでいた福永祐一騎手とも契約を結ぶ。

地方の岩田、天才福永洋一の長男祐一を抱えることで競馬ブックによる武豊排除が完成した。


周防郁雄、吉田照哉、そして小原靖博によって武豊騎手が完全に干された。


エージェント契約は、競馬記者の裏稼業であり、名目上ボランティア、というのが業界の常識である。税務申告はしていないと考えていなかったため、
騎手、調教師、競馬新聞関係者が相次いで追徴課税を受けたという。

小原靖博のエージェント契約は、日本中央競馬会でも問題視されるように、小原靖博は昨年、競馬ブックを退職せざるをえなくなった。
武豊は小原靖博がブックを辞めたことて、「再び復活できる」と意欲をみせたが、
岩田康誠騎手が騎乗したディープインパクトの娘、ジェンティルドンナがジャパンカップで優勝すると、
武豊騎手は、「俺には出番が無くなったのか」と弱音をはくようになり、調教師試験の勉強に励むようになった。
早ければ2014年にも調教師に転向も視野に第二の人生を歩むことになるだろう。
★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★
771 :名無しさん@実況で競馬板アウト[]:2013/01/29(火) 21:24:53.16 ID:QkD8LUSKO
武豊騎手は1987年から2006年まで周防郁雄と親しかったこともあって許永中受刑者とも親しかったようだ。許永中は関西の競馬界でも発言力があったとされる。


周防郁雄、許永中は山段芳春と対立関係にあった。


周防郁雄や周防の部下川村龍夫、川村龍夫側近で歌手でお笑い芸人石橋貴明が圧力をかけ、南井克巳騎乗のオグリキャップやナリタブライアンを引き摺り下ろしたのは有名である。

3人とTBSは、オグリキャップを担当した池江敏郎厩務員(故人)と実弟池江泰郎元調教師に圧力をかけ、
ナリタブライアンの場合も3人とTBSが、大久保正陽元調教師の次男大久保龍志助手(現調教師)に圧力をかけ

南井を降板させたという。
これには東西の競馬関係者から批判があった。

当時は、馬主ではなく調教師の方が権限を握っていたが、周防郁雄ら関東の芸能界の圧力による南井降ろしは、東西の競馬界で衝撃が走った。



2006年武豊騎手にも南井の悪夢がよぎるのである。
★★社台はいつまで武豊と喧嘩するのか?★★
773 :名無しさん@実況で競馬板アウト[]:2013/01/29(火) 21:33:56.68 ID:QkD8LUSKO
武豊も調教師になれば、社台グループの供託や周防郁雄側近の馬主の供託は難しいが、永井啓弐、松本好雄、手嶋龍一といった大物馬主がいるから何とかなり、年間20勝程度は確保されるだろう。


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