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おさかなくわえた名無しさん
東北人をどうしてもバカにしてしまう【被害者ノ会】5

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東北人をどうしてもバカにしてしまう【被害者ノ会】5
655 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/08/05(金) 17:38:59.62 ID:PDldmHc3
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【外国人から見た西南戦争】

1877年4月1日付『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』は、
「薩摩の人々は、1868年の革命以来、日本の甘やかされた子供であった。
しかし、彼らは明らかに帝国内の帝国を保つことを望んでいるのだが、
それは許されざる事柄である。帝国政府はいま、彼らに対して大きな陸軍を
送り込みつつある。西郷将軍がこの反乱に何らかの形で加わっていることを
日本の公式文書は否定している。しかし、この文章が書かれている言葉遣いや
反乱が進行している地方に西郷将軍が下野している事実に照らして、こうした
否定をすること自体がどちらかと言うと、彼がこの反乱を促進しつつあるとの
報道を確認するのに役立つのだ」
と報じている。

金井圓編訳 ~THE Illustrated London News~邦訳「描かれた幕末明治」 雄松堂書店
東北人をどうしてもバカにしてしまう【被害者ノ会】5
656 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/08/05(金) 17:39:48.59 ID:PDldmHc3
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【ヤンチュ(黒糖奴隷)】

薩摩藩では奄美の島民を黒糖栽培の為に奴隷化していた。
島民達に人権なく安値で売り買いされ牛馬以下の扱いで酷使され続け
また、サトウキビ以外の生産は厳しく制限され飢餓に喘ぐ悲惨な状態であった。
そして驚く事に明治12年まで続く事になる。

島津は維新を謳いながら自領は江戸時代同様の支配を手放そうとせず
政府からの奴隷解放令や自由売買許可を握り潰し続け告布しなかったのである。
西郷隆盛も奄美の人々を蛮族と蔑み奴隷政策に加担していた。
東北人をどうしてもバカにしてしまう【被害者ノ会】5
657 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/08/05(金) 17:40:25.35 ID:PDldmHc3
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【超高税の農民虐め】

薩摩では百姓の本田畠に対しては79.6%と言う常軌を逸した高税が課されていた。
(自ら田畠を耕す自作郷士も大勢いたが郷士の自作地については僅か18.4%の課税)
更に食料や収入になりそうな樹木にも附籾と言われる課税がされていた。
(例えば、柿や漆は1本あたり籾1升に換算されて課税される)

そして15~60歳の男子に用夫役や狩夫役などの労役が課せられ
公役は「月三十五日」と言われる過酷なものであった。
薩摩には独特の門割制度と言うものがあり
要するに耕作者の均一を図る為に
人口の少ない所には多い所から人を強制移住させるものである
選抜は「くじ」で行われ家族もばらばらに引き裂かれた。

明治期に至っても士族至上主義の農民虐めは続き
地租改正後も土地は士族が大半を独占し農民は小作になり士族支配の形は変わらなかった。
当初、選挙権・被選挙権共に地租の所有量により与えられた為
薩摩では議員も殆どが士族であり※後述
薩摩は太平洋戦争後まで封建制度が継続する事になった。
東北人をどうしてもバカにしてしまう【被害者ノ会】5
658 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/08/05(金) 17:40:49.91 ID:PDldmHc3
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【超高税の農民虐め】別添資料

明治20年代の県議会議員
    士族  平民
神奈川  1   56
埼玉   1   38
千葉   3   50
群馬   4   56
新潟   4   60
栃木   5   32
長野   6   32
岩手   7   60
宮城   8   56
山形   8   23
秋田   9   21
茨城   10   48
福島   10   50
青森   12   18
鹿児島  27   3  ←
東北人をどうしてもバカにしてしまう【被害者ノ会】5
659 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/08/05(金) 17:41:52.64 ID:PDldmHc3
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【乞食の国】

1871年1月9~15日(明治三年十一月十九~二十五日)まで鹿児島藩内に滞在していた、
駐日イギリス公使館書記官アダムスは、鹿児島藩を次のように報告している。
要点をまとめると
「実に全領地は膨大な軍事機構であり、その国は軍事費に応ずるために枯渇させられている」
で更に
「藩内には中央政府に対して多大の不満がある」
として、
「現在地方政庁における最も有力な人のうちの一人」
の主張を次のように紹介している。
「中央政府にはあまりに多くの混乱があり、あまりに多くの違った意見がある。
計画は朝令暮改である。朝廷における一部の貴族は、あまりに多大の勢力を持ちすぎている。
彼らは事務に慣れておらず、話を右から左に聞き流すだけの役立たずで税金を食いつぶすだけの、
泥棒である。もしこのような制度が存在を許されるなら、日本は乞食の国になる」
とした上で、
「政府がほんの僅かな金しか持たないで長距離の鉄道敷設を企てるべきではなく、
むしろ他の処置に専念すべきである」
とし、それは、
「不幸な人民の福祉の為に実施すべき他のもっと多くの施策」
であり、
「不幸な人民は、あまりに重税を課せられているので、食ってくべき何ものももたない」
という。これに対してアダムスは報告書の中で、
「軍事施設を保持するために、人民が地方政庁によって貧窮に陥れられている州に
住んでいる人としては奇妙な説」
と括弧つきの注釈を加え、この有力者が自身の支配する鹿児島藩が日本一の「乞食の国」であるのに、
日本が「乞食の国」になることを防ごうとしている事に、皮肉をついている。

石井孝 「明治維新と自由民権」 有隣堂
鹿児島銀行編 「鹿児島銀行百年史


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