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おさかなくわえた名無しさん
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50

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【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50
155 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/07/09(火) 00:58:53.11 ID:jO42q0Nq
たとえば、「私は(〜を)見る」と言ったとしよう。
では、見る「私」とは、何であろうか。
それは、「私は(〜を)見る」というのだから、その見る前に存在している何ものかということになる。
それは見る以前だけではない、聞くよりも、読むよりも、歩くよりも、走るよりも前に存在している何ものか、つまりあらゆる作用以前に存在している何ものか、ということになってしまう。
すなわち、作用を持たない基体(サブスタンス)としての私だ。だがいったい、そういう現象に関わらない私という存在を、どうやって知ることができようか。
第一、その私って、いったい何なのだろう?
もしそういう私があるとしたら、それが見るとは、どういうことになろうか。
もとより作用を持たないのであるから、どこかにあらかじめある「見る作用」と結びついはじめて見るということもできるということになるほかない。
しかしながら、、いったい、見る作用のみが、どこにあると考えられようか。
これはおかしな話である。
ある意味では、そんなものがあるとすれば、ありもしない幽霊より怖いことだ。
したがって見る作用とは別に私があるということは、どうも成立しそうもない。

竹村牧男.入門哲学としての仏教(講談社現代新書) より引用
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50
156 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/07/09(火) 00:59:08.40 ID:jO42q0Nq
>この『非らず。非らず』(neti neti) という(ことばでのみ表される)アートマンは
>捉えることができない。捉えられないから。
>壊れることがない。壊されないから。
>こだわりがない。こだわらないから。
>つながれず、動揺せず、損なわれない。
>ああ、認識の主体を何によって認識することができようか。
>ヤージュニャヴァルキヤ 『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50
157 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/07/09(火) 00:59:24.13 ID:jO42q0Nq
 >この智には、見はありて相は無し。
 >相無くして取る、相をば取らずに説けるが故に。
 >見分はありと雖も、而も無分別をなるをもって、能取に非ずと説けり。
 >取ることは全無に非ず。
 >相分は無しと雖も、而もこれ如の相を帯して起こると説くべし。
 >如に離れざるが故に。
 >自証分見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に爾るべし。
 >変じて縁せば便ち親しく証するに非ずなんぬ。
 >後得智の如くまさに分別あるべし。
 >故に応にこれには見のみありて相はなしと許すべし。
 >加行の無間に此の智の生ずる時に、真如に体会す、通達位と名ずく。
 >始めて理を照らすが故に、亦た見道と名ずく。
 >(成唯識論)
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50
158 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/07/09(火) 00:59:45.01 ID:jO42q0Nq
>われわれが出会うことのできる唯一の存在は、『認識されるもの』である。
>『認識するもの』は存在するのではない。『認識するもの』は捉えられない。
>(中略)『認識するもの』が、担いうる唯一の性質づけは、まさに、『それは、これこれの対象であらぬ』ということである」
>サルトル 『存在と無』
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 50
159 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2019/07/09(火) 00:59:55.52 ID:jO42q0Nq
ミリンダ王の問い より

「尊者ナーガセーナよ、人が転生する時、死したまさしくその同じ人が再び生まれるのでしょうか、それとも別の人が再び生まれるのでしょうか?」

   「同じ人が転生するのでも、別の人が転生するのでもありません。」

「では、例を挙げてください。」

   「王よ、例えば、或る人がランプに明かりを灯すとしましょう。 このランプの明かりが一晩中ずっと灯っていますようにと願って。」

「確かに、尊者よ。」

   「しかしながら、王よ、深夜の炎は夜中の炎と、夜中の炎は真夜 中の炎と同じでしょうか?」

「確かに、同じではありません、尊者よ。」

  「それでは、王よ、深夜のランプの明かりとは夜中のランプの明かりとは別のものでしょうか?夜中のランプの明かりと真夜中のランプの明かりとは別のものでしょうか?」

「尊者よ、そうではありません。明かりは一晩中一つの同じラン プによるものです。」

  「王よ、それと全く同じように、諸々の出来事の鎖は相互に続いているのである。一つの出来事が生じると、もう一つは消滅するが、にもかかわらずそれらすべては絶え間なく互いに接して連なっている。」
  「このようにして人は、最後の意識の状態において、同 じ人としてでも、また別の人としてでもなく転生に至るのである。」


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