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おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止
関西人は劣等人種 [無断転載禁止]©2ch.net

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関西人は劣等人種 [無断転載禁止]©2ch.net
1 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:39:37.21 ID:jX4nPLUw
▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている』
▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
▼埴原和郎(東京大学名誉教授・福岡県出身の人類学者)
『私どもが行った分析から見ても近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』
▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』
▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
▼中橋孝博(九州大学大学院教授・奈良県出身の人類学者)
『例えば関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は少し背が低いものの、眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い』
▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』
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2 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:39:58.97 ID:jX4nPLUw
▼吉田定房(公卿、14世紀)
『赤ん坊級に弱い関西人が一騎当千の鎌倉武士に勝つなんて無理ゲー』
▼人国記(戦国時代の地誌、16世紀)
『関西侍は弱兵、卑劣、欲心深く、狐が服を着てるだけ』
▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』
▼甲陽軍鑑(甲斐武田の軍学書、17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼雑兵物語(江戸時代の兵法書、17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼葉隠(佐賀鍋島藩の武士道書、18世紀)
『関西侍は卑怯者だらけ。真似するなよ』
▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)』
▼全国体力テスト(文部科学省、21世紀)
『大阪男子の体力は47位で全国ビリ、学力は45位』
▼向江松雄さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼古瀬正行さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼坂本芳次さん(自動車第34連隊)
『うちの部隊にも何名か大阪人がいましたよ。もうこんな「ぜえろく」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね』
▼田辺聖子(大阪府出身・作家)
『浪速の男どもはみな争いごと好まず、膂力(腕力)にも乏しい』
▼司馬遼太郎(大阪府出身・作家)
『大阪兵は日本最弱。上方者が兵にむかないのは当然なこと』
▼樋口清之(奈良県出身・考古学者)
『平安末期の関西人は、本当に男でも女のような体質ですね。肉体的鍛錬をしませんと関節が小さいんです』
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3 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:40:28.51 ID:jX4nPLUw
私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、
特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。
その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと
想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。
時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、
畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは
代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。
この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、
近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および
日本歴史を考えるうえできわめて重要である。

(埴原和郎/理学博士/東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授/福岡県出身)
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4 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:41:00.13 ID:jX4nPLUw
網野善彦 『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』 岩波現代文庫

私がこの『東日本と西日本』を読んで、とくに衝撃をうけた記憶がはっきりとあるのは、小浜基次さんの論文でした。
小浜さんは大阪大学の名誉教授で、形質人類学・解剖学の専門家、1904年に生まれ、1970年に亡くなっておられます。
この文章は短いものですが、小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、
東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘しておられます。
その中で私がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びとがきわめてよく似ており、
形質上は同じであると指摘されている点です。
そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人の違いに比べて、
はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。
これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、
さらに衝撃だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。
小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、
被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、実際に関西では少なからずあったと思います。
これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、
差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。
小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。
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5 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:41:46.60 ID:jX4nPLUw
▼各地の男性頭骨の弥生・縄文判別関数値

(池田次郎・京都大学名誉教授による)※数値が高いほど朝鮮に近い

+2.12…畿内 ←★チョン★
+1.08…四国
+0.76…東中国
+0.70…西中国、北東九州
+0.51…関東、東北
+0.40…北陸
-0.87…西九州、南東九州
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6 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:44:12.14 ID:jX4nPLUw
南九州日本人と近畿朝鮮人のスタイル比較!

・第1、第2判別関数による府県を単位集団とする比較(男性)
近畿→身長の割に肩幅が狭く、頭長の割に顔高が大きい。
南九州→身長や顔高に比べて肩幅や頭長が大きく、がっしりとしている。

近畿人の特徴は朝鮮半島に現在住んでいる人々の特徴と概ね一致する
(『日本人はるかな旅』より、長野県看護大学教授の多賀谷昭先生)

東北日本人と近畿朝鮮人のスタイル比較!

▼形質学から求めた朝鮮人との遺伝的近似性(小浜基次・大阪大学教授による)
     頭示数 比肩峰幅 比上肢長 比下肢長
アイヌ人  76.55   23.65   44.60   55.14
東北人  80.16   23.07   44.46   54.33
畿内人  84.98   22.67   43.99   54.23←★胴長短足ヒトモドキチョンコの弟
朝鮮人  85.16   22.35   43.30   53.48←★胴長短足ヒトモドキチョンコ

頭示数 頭の長短
比肩峰幅 肩幅の広さ
比上肢長 腕の長さ
比下肢長 足の長さ
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7 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:45:17.47 ID:jX4nPLUw
二重まぶたの出現頻度(「日本人の起源を探る」より)

アイヌ96.8%
奄美諸島84.0%
北海道73.2%
新潟70.4%
三重67.5%
京都66.9%
山形65.8%
奈良58.1%
朝鮮南部42.1%
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8 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:45:40.84 ID:jX4nPLUw
北海道・東北・九州・沖縄に酒豪が 中部・近畿に下戸が多いそのわけは…。
酒の強さは遺伝子で決まる
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000176_all.html

原田 前にも言ったように、D型はN型遺伝子の突然変異でアセトアルデヒドを分解する
能力が低下したものなんです。ですから、そもそも当初人類にはN型しかなかった。そこ
に突然変異が起こり、D型ができた。おそらく2−3万年前にモンゴロイド人種の中で起こ
ったことだと思います。そして、その人達が時代を経て増えていったのです。

──日本も大昔はNN型の人しかいなかった。そこへD型を持った人達がやってきたという
ことなんでしょうか。

原田 そうではないかと思います。現在の日本人は、縄文人と弥生人の特徴を兼ね備えて
いると言われています。それに当てはめて考えると、恐らく縄文人のほとんどはN型遺伝子
のみを持っており、とても酒に強かった。そして、縄文時代末期から海を渡って近畿、中
部に多く移り住んだとされる弥生人によって、酒に弱いD型遺伝子がもたらされた…。この
歴史のために地域差がでたのではないかと思います。

──確かにそう考えると、図表1のような都道府県別の色分けも納得できますね。そういっ
た意味では、コーカソイド人種であるハンガリー人やインド人にも、若干ではありますが
D型遺伝子を持った人がいるというのは、歴史と照らし合せて考えると、かつてモンゴル
帝国の支配がそこまで及んでいた証でもあるわけで、とても興味が湧いてきます。

下戸分布図
http://blog-imgs-45.fc2.com/z/i/m/zimayu/geko.jpg
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9 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:46:02.77 ID:jX4nPLUw
▽分離型耳垂(福耳)の出現率(兵庫医大・欠田名誉教授)

アイヌ 96.2%
奄美諸島 77.24%
新潟県 72.8%
山形県 70.5%
青森県 63.3%
三重県 60.4%
山口県 36.88%
京都府 36.6% ←★チョン★

朝鮮半島 32.6%
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10 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:46:51.89 ID:jX4nPLUw
 http://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000?page=2

「もともと人間の耳あかはすべて湿型だった。ところが、数万年前に中国北部やモンゴルの周辺で
遺伝子の突然変異に伴い乾型の耳あかが生まれ、周辺地域に広がった」

「弥生時代以来、日本に移り住んできた渡来人が乾型の遺伝子を運び込んだ」と新川さんは見る。
もともと日本の先住民だった縄文人は、白人や黒人らと同様に湿型ばかりだった。
そこへ、渡来人が高度文明や技術、専門知識などとともに乾型の遺伝子も持ち込んだらしい。

図5と表6は、日本国内の耳あかの乾型と湿型の勢力分布を示したものだ。
新川さんらと共同で県立長崎西高校が調査した都道府県別の乾型遺伝子出現率(対象1963人)をもとに作成した。
最も高いのは京都、次いで岐阜、大分、愛媛、福井……。逆に最も低いのは岩手、次いで沖縄、広島、宮城、山梨……。
調査を見ると、「乾型は西日本で特に多い」というざっくりした傾向が浮かび上がる。
詳しく言うと「乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中している」という。
乾型は近畿地方で圧倒的に多く、さらに四国北部、九州東部へとつながる臨海地域にも集中している」という。

世界の乾型・湿型遺伝子の出現率 ★中国北部・韓国は乾型100%
http://i.imgur.com/MhW3OVJ.jpg
図5 日本国内の乾型遺伝子の出現率 ★近畿・四国北部・九州東部に乾燥耳垢が多い
http://i.imgur.com/nMDz1XH.jpg
表6 都道府県ランキング ★帰化人のメッカ・京都府は98%が乾燥耳垢
http://i.imgur.com/EXxdFrC.jpg
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11 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:47:37.37 ID:jX4nPLUw
▼手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との遺伝的距離

(山口敏『日本人の顔と身体』より)

0.000…朝鮮半島
0.007…近畿地方
- - - - - - - - - - -人間とそれ以外の境界線
0.012…中部地方
0.035…中国地方
0.035…九州地方
0.038…四国地方
0.048…関東地方
0.068…東北地方
0.092…南西諸島
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12 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:48:08.22 ID:jX4nPLUw
歯冠計測値28項目に基づく主成分分析の因子得点(岡崎健治・広島県出身)
      第1因子    第2因子
     男性  女性  男性  女性
縄文   -0.156 -1.461  -2.055 -0.691
アイヌ  -1.025 -1.489  -0.695 0.491
関東   0.863 -0.286  -0.067 0.715
九州   0.870 -0.058  0.455 1.073
近畿   1.807 -0.360  -0.260 1.143

近畿地方の人々が江戸時代には既に他の地方の人々よりも歯冠サイズが大きいことが報告されており,
その要因について渡来人の影響があげられている(長岡・平田,2003)。
周知のように弥生時代に大陸から渡来してきた人々とその子孫は,縄文人やその子孫と考えられている人々よりも
歯冠サイズが大きいことが明らかにされている(Brace and Nagai, 1982; 松村,1998; 小山田,1992)。
より大きな歯冠サイズをもつ渡来人が,政治・経済・文化の先進地域である近畿地方に集中的に流入したため(多賀谷,1995),
その影響で同地方の人々は他の地方よりも大きな歯冠サイズをもつというわけである。
ただし,近畿地方では江戸時代以前のまとまった人骨資料が少ないため,同地域の人々の歯冠サイズが
弥生時代から江戸時代までどのように変化したのかについては今のところ不明である。
(岡崎健治 H17)
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13 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:48:41.79 ID:jX4nPLUw
▼解剖学者・松村博文先生の常識的見解

『近畿人は胴長短足、朝鮮人も胴長短足』
『近畿人は短頭、朝鮮人も短頭』
『近畿人は乾燥耳垢、朝鮮人も乾燥耳垢』
『近畿人は耳たぶが痩せている、朝鮮人も耳たぶが痩せている』
『近畿人は髭が薄い、朝鮮人も髭が薄い』
『近畿人は一重まぶた、朝鮮人も一重まぶた』
『近畿人は蒙古襞、朝鮮人も蒙古襞』
『近畿人と朝鮮人は歯の形が同じ』
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14 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:49:19.01 ID:jX4nPLUw
レヴィン(旧ソ連の人類学者)「近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となる」

http://www2.cc22.ne.jp/hiro_ko/9-0roots.html
【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 縄文人か弥生人か
2008.08.25 MSN産経新聞

旧ソ連の人類学者、レヴィンの研究

 レヴィンは、第二次大戦直後、シベリアに抑留された元日本兵約1万300人を調査。朝鮮半島では、一重まぶたに伴い涙丘がまぶたで覆われる「蒙古ひだ」が多いが、日本では近畿に最も多く、東西へ向かうにしたがって少なくなることを指摘した。
 レヴィンは頭の形態や身長、ひげの濃さなども調べた結果、「日本人には、蒙古ひだが小さくひげが濃いアイヌ系要素と、蒙古ひだが大きくひげが薄い朝鮮系要素という二大要素がある」と分析。
 「アイヌ系」は縄文人の古い特徴を受け継ぎ、近畿に多い「朝鮮系」は弥生以降の渡来人の新しい特徴を持つという。
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15 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:49:42.41 ID:jX4nPLUw
十仁病院(梅沢文彦氏※日本美容外科学会会頭)の膨大なカルテを基にした各地の特徴

北海道 二重まぶた、目がくぼんでいる、シシ鼻
東北 二重まぶた、シシ鼻
栃木・茨城・群馬  二重まぶた
千葉 二重まぶたの割合多い、シシ鼻
東京 類型化は困難だが、一般的に二重まぶた
北陸・山陰 色白、二重まぶた
関西 一重まぶた、ワシ鼻も見られる
南九州・沖縄 くっきりとした二重まぶた
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16 :おさかなくわえた名無しさん@無断転載は禁止[]:2017/03/21(火) 19:50:33.36 ID:jX4nPLUw
小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)


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