トップページ > 生活全般 > 2013年12月29日 > SOpJUcXx

書き込み順位&時間帯一覧

11 位/1333 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数00010000000011011011121112



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
おさかなくわえた名無しさん
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23

書き込みレス一覧

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
93 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 03:30:47.16 ID:SOpJUcXx
OSHO(オショー)という呼び方をするのは、ラジニーシの晩年以降もしくは、遷化以後に
ラジニーシを知った人たちですね。それ以前から彼を知っている人たちには、バグワン
(BHAGWAN) という呼び名が一番懐かしく、また相応しい呼び方に思われます。
ラジニーシは日本の禅僧に親しみ感じ、晩年に自分自身も日本風に和尚(オショウ)と
呼ばれることを望んだのですが、如何せんジャイナ教の背景を持ち、日本とは全く異なる
文化の中で育ったラジニーシを和尚(オショウ)と呼ぶことには、多くの古い弟子達が
違和感を持っています。私の中でも、彼は永遠に 「バグワン・シュリ・ラジニーシ」 です。
インド国内はもとより欧米においても、彼ほど崇拝されると同時に、多くの人々に嫌われた
宗教家もいませんでした。和尚(オショウ)というイメージでは捉え切れない、よい意味でも
悪い意味でも強烈すぎるほどの個性を持つ宗教家でした。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
99 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 12:01:55.67 ID:SOpJUcXx
OSHO(オショー)の講話テープの英語は大変分かりやすいし、聞いているだけで心が
のびのびとしてきます。彼の講話には悟った者にしか表現できない内容が詰まっていて、
特に若い頃のテープは、聴く者の意識を開放するようなエネルギーを持っています。
また、英語のヒアリング力を身に付けるのにも役立ちます。英語を話す時にOSHOの
言葉遣いを真似して使うと、大抵の外国人が 「あなたは分かりやすい英語を話しますね」
と言ってくれます。ただ、アメリカ人やイギリス人のような本当のネイティヴは彼の英語を
<良くない英語> と言っていますので、文法的には少し問題があるかも知れません。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
101 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 13:37:15.57 ID:SOpJUcXx
>>100
悟ったら政治や社会のことはどうでもいい! というのは大乗仏教の悟りではなく、
小乗仏教の悟りです。 それを利用して弟子を騙して自分の欲望を満たそうとした
のが松本智津夫です。きちんと大乗仏教の勉強をすれば、誰もオウムの教義など
に騙されることはありません。(もちろん、松本智津夫は小乗仏教の悟りすら持って
いませんでした。ただ、 小乗の悟りを歪曲して利用しただけです。)
小乗の悟りがなぜ完全な悟りでないかは、ナーガールジュナ、アサンガ、ヴァスバンドゥ
らの大乗仏教の哲学者たちによって明らかにされています。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
103 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 15:28:04.66 ID:SOpJUcXx
>>102

「悟ったら政治や社会が大事になる」 ということではありません。

全ての人を真実の悟りに到達させるということが目的になるだけです。

だから、政治に関わるも関わらないも臨機応変です。手段の一つですから。

大乗と小乗の違いは、社会に関わるか関わらないかの問題ではなく、

「悟りの内容」 そのもが違っているのです。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
105 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 16:14:49.91 ID:SOpJUcXx
>>104
「自分の問題が終わる時に、世界の問題も終わる」 というような悟りは
小乗の悟りと言えるでしょう。 普通はそれが本質であるように見える
のですが、実は、さらに深い世界があるということでしょう。
「悟りを開いたら、自分の苦も他人の苦も消えてしまう」 と言われますが、
その結果、他人の苦についても無関心になれるのは小乗の悟り、逆に
他の人や動物の苦しみを我が身のことのように感じてしまうようになる
のが大乗の悟りと言えるでしょう。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
107 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 18:01:34.78 ID:SOpJUcXx
>>106
そうですね。 悟りというものが、最初は小乗的な形で現れたということですね。

しかし、梵天勧請というものも結局は釈尊自身の内なる世界のことですから、

大乗的なものに変わるべき定めがあったと言えるでしょう。

その後、釈尊没後何百年も経ってから、深い悟りを得ていた仏弟子達による

「大乗こそ釈尊の真意であった」 という信念から、多くの大乗経典が作られて

行った訳です。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
110 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 19:39:12.67 ID:SOpJUcXx
>>108
>悟った後に自分はどちらの道を選ぶのかという判断を・・・

そういう判断をするような <個人> が消えるから 「悟り」 なのですよ。

  
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
113 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 20:13:07.30 ID:SOpJUcXx
>>112
釈尊のことも大昔なので詳細は分かっていません。釈尊以前の仏についての話になると、
もう伝説・神話・創作の話になってしまうので、あまり意味はないでしょう。 釈尊とほぼ同じ
時代に悟りを得てジャイナ教(OSHO・バグワンの元の宗教)を開いたマハーヴィーラなどは、
開祖でありながら12代目とか20何代目とか言われているのですから。

ただ一つ大切なことは、小乗の師について求道すれば小乗の悟りが得られ、大乗の師に
ついて求道すれば大乗の悟りが得られるということです。 もちろん、師匠について長く
修行しても、一生何の悟りも得られない人も沢山いますが・・。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
118 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 21:11:42.02 ID:SOpJUcXx
>>114
仏教経典についての話になると、これはもう大変ですね。なにしろ古い時代のことでもあり、
ニセの経典もたくさんある訳ですから。 ただ、一般に原始仏典として普通に知られている
ものの中では、釈尊が過去仏の話をされているものはないと思います。大乗以降では内容も
多種多様なものが出て来ますが、末期になるとニセ経典も多くなってくるようですね。

本物の大乗経典というものも釈尊が説かれたものではありませんが、釈尊以来、師資相承に
よって伝えられてきた悟りを受け継いで来た優秀な弟子たちによって作られ、何よりも、その
経典によって新たに悟りを開く弟子達が次々と輩出されて来たという事実が、「仏説」 の二文字
を冠するに値する本物の仏典であることの拠り所になっていると言えます。 (ニセ経典の場合は、
その経典を学んでも誰も何の悟りも得られないことから、ニセと判断することができる訳です。)
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
120 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 21:34:12.79 ID:SOpJUcXx
>>119
七仏通戒偈は有名ですが、「長阿含経」 に書かれていたのですか?
失礼いたしました。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
122 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 22:05:32.23 ID:SOpJUcXx
>>121
>説法による衆生救済が大乗だとすると、

先にも書いたことですが、大乗と小乗の違いは、<社会に関わるか関わらないか>、
<説法による衆生救済をするかしないか> の問題ではなく、「悟りの内容」 に関わる
ことなのです。悟りの本質は小乗仏教にも当然あるもので、基本は同じなのです。 ただ、
大乗仏教ではその内容に <大転回> があって、それは釈尊のお悟りの中にも 「芽」
として存在していただけなのです。それが芽を吹いて大きく前面に出て来るのは、釈尊
没後何百年も経ってからでした。小乗を否定するなどあり得ません。ただ、小乗に留まって
いれば、真の仏教は分からないというのが大乗仏教の立場だと言ってよいでしょう。
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】23
124 :おさかなくわえた名無しさん[sage]:2013/12/29(日) 23:27:37.57 ID:SOpJUcXx
>>123
>ハードル高すぎません?

高いも何も、もう偉大な先輩方が達成して尊い大乗経典を沢山残して下さっているのですから、
私達はそれを学べばよいだけです。それも、釈尊のような宗教的大天才が端緒を開いていて
下さったからであって、先人の大乗仏教学者たちの釈尊に対する崇拝感謝の念もさまざまな論書
に残されています。
最初は大乗を馬鹿にしていて後で大乗の凄さを知ってから、その罪深さ・恥ずかしさで自らの舌を
抜こうとした者、耳を切り落とそうとした者、恥じて命を絶とうとした者など、大げさなほど凄絶な逸話
も沢山残っています。大乗仏教というのはそれほど凄いものなのです。


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。