トップページ > 生活全般 > 2012年11月28日 > +4QuY2LA

書き込み順位&時間帯一覧

64 位/1443 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000000000005000005



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
おさかなくわえた名無しさん
血液型性格判断にはなはだウンザリ Part7

書き込みレス一覧

血液型性格判断にはなはだウンザリ Part7
567 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/11/28(水) 18:44:19.87 ID:+4QuY2LA
>>3

【遺伝子はウソをつかない】      ←つまり幼稚なウリナラファンタジーは通用しないという事

★結論…日本人と韓国人はほとんど繋がりの無い赤の他人(さらに百済・高句麗とも全く別民族であることが判明)

百済系遺跡での出土した骨のDNA鑑定結果は現代韓国人に見られない
D系の遺伝子が、必ず見つかっている。
高句麗の骨からもD系が検出されている。

(中国)高句麗〜百済までの流れを確認すると、当該国の中核的民族にD系統の遺伝子が確認される。
つまり、古朝鮮と呼ばれる国家・文化の担い手は、実は源日本人の一派であり、
現韓国人とは全く血縁関係の無い民族が中心であった

Y遺伝子D系統を持つ人種
アイヌ人……88%
沖縄人……56%
本土日本人…42~56%
チベット人…33%
韓国人……0%

中国や日本の歴史書や朝鮮半島に残る古代碑にもあるように
古代朝鮮半島(百済・新羅など)は日本人によって完全に属国支配されていた
(百済は王子や王女などの王族を日本に人質として差し出すことが義務だった)
(新羅に至っては歴代王のほとんどが日本人!)
まあ属国というよりほとんど日本といっても良いレベルだね
血液型性格判断にはなはだウンザリ Part7
568 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/11/28(水) 18:45:48.85 ID:+4QuY2LA
日本人の約3割の人が持つ「O2b」系遺伝子(弥生系)
それはDNAの研究により元々中国大陸の揚子江流域の人たちが持っていたO2系から分岐したものであることが判っています
さらには遺伝子研究の結果、その伝播ルートも判明しています


    中国大陸南部 → 日本 → 朝鮮半島


これらから判明した『事実』とは

 1,弥生人のルーツは中国大陸南部の揚子江流域に暮らしていた人々である。

 2,古代朝鮮半島の住人は日本から渡っていった人々である。
 (百済人・高句麗人は日本人しか持たない特殊なD系遺伝子を持つことが判明しています。これは現代朝鮮人にはゼロ)


ちなみにこれは近年の稲のDNA解析による稲作の伝播ルートとも完全に一致している
(稲作の伝播ルートは中国南部→日本→朝鮮半島)

つまり、朝鮮猿に古代文化を授けてあげたのは、古代日本人だったということです。
これは捏造でも何でもなく、現代人や稲のDNAが教える動かしようのない『現実』


DNA解析以外でも、古代の遺跡から出土した稲の放射性炭素年代測定法によって出た結果

「陸稲も水稲も日本の方が朝鮮半島よりも数百年〜1000年以上も早かった」という事実もあり
以上を合わせ、これらのことは現在の考古学会ではほぼ定説となっております
血液型性格判断にはなはだウンザリ Part7
569 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/11/28(水) 18:46:23.87 ID:+4QuY2LA
■弥生人の遺伝子と、古代中国人の遺伝子が一致

さて、その絹織物と養蚕技術の伝来ルートとしては、従来の定説では、華北〜朝鮮半島経由だとされてきた。
ところが吉野ヶ里遺跡から発見された四片の絹織物を鑑定したところ、江南地方である「華中」に特有の蚕
である太い「四眠蚕」であることが分かった。

このことから大陸文化の(=弥生文化)の伝来は、長江流域の江南からの直接ルートが強く推測される。

そして、最近、日中の「江南人骨日中共同調査団」の調査結果(1999年3月)が、その直接ルート説をさらに補強した。
これは、江南地方の紀元前5〜8世紀の人骨と、福岡県筑紫野市出土の人骨(紀元前後)について、
「ミトコンドリアDNA分析」という方法で、塩基配列を比較したところ完全に一致したというものである。
 以上のような事実をつなぎ合わせると、大陸の華中(江南地方)から直接、吉野ヶ里など北部九州へ渡来人
がやって来た可能性が強くなり、大陸文化の伝来についても、華北〜朝鮮半島経由以外に
江南からの直接ルートの存在を強く示唆される。
 これまで、大陸との交流というと、魏と邪馬台国というように、魏(華北)の地域との関係がどうしても
クローズアップされがちだった。しかし、吉野ヶ里遺跡の絹片や人骨の分析により、呉(華中=江南)地域
との交流の存在が実証されたというわけである。
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=3055


■稲の伝播も江南直通
http://maokapostamt.img.jugem.jp/20080119_115970.jpg

最近稲のDNAの研究によって、中国中南部から直接渡来したという考えが提唱されている。
なお、縄文時代にすでに陸稲の稲作が一部にあったとする説が定着しつつある。
血液型性格判断にはなはだウンザリ Part7
570 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/11/28(水) 18:47:09.40 ID:+4QuY2LA
■中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は中国江南地方

 共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、長江
(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、
DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調
査団の調査で分かった。

 渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が有力と考えられてい
たが、稲作の起源地とされる長江下流域を含む江南地方からも渡来した可能性が
高くなり、弥生人の起源を探る上で注目されそうだ。

 同日、東京で記者会見した日本側山口団長らによると、調査団は1996年か
ら3年計画で、江蘇省で出土した新石器時代から前漢時代(紀元前202−紀元
後3年)にかけての人骨と、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人や縄文人の人骨を比較した。

 その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢
時代にかけての江蘇省の人骨と、渡来系弥生人の人骨には、頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。

 また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があっ
たが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。

 江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でD
NAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。

 中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が
極めて似ていることが分かり、弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えら
れた。今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話している。

 江蘇省ではこれまで春秋戦国時代から前漢時代までの人骨がほとんど出土せず、
渡来系弥生人との関連を探る研究は進んでいなかった。
血液型性格判断にはなはだウンザリ Part7
571 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/11/28(水) 18:47:51.76 ID:+4QuY2LA
★日本人と韓国人は遺伝的にもほとんど関係の無い民族である
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/26/28/deliciousicecoffee/folder/645810/img_645810_26584569_0?1267481960
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/26/28/deliciousicecoffee/folder/645810/img_645810_26584569_1?1267481960
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/26/28/deliciousicecoffee/folder/645810/img_645810_26584569_2?1267481960


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。