- 【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】15
747 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 00:40:07.35 ID:Kr8ybywl - ものごとをありのままに見ればいいのです。
よく誤解されますが、ブッダは「全ての現象は苦しい」などとは言っていません。 「 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように悩み苦しむ。 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執著をのり超える。」 一切は苦しいというより、人生楽ありゃ苦もあるさ、です。 しかしそんなうまくいくかどうか分からないことをあてにしてもしょうがないので、「よく気をつけて諸々の欲望を回避」しなさいという ことなのです。 まあ、その「あてにならないもの」=「苦」と解釈すれば、「一切皆苦」と表現することもできますが、ニヒリズム ではありません。
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748 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 00:41:10.00 ID:Kr8ybywl - アンカーを忘れました。
>>747は>>744宛て。
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750 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 00:49:17.01 ID:Kr8ybywl - >>749
犯罪を犯さなくては生きていけない状態に置くことと、どちらが社会にとってより損かを 考えるべき、ということです。 一番の理想は、国がちゃんと仕事を与えることですが。民間では雇うところはないでしょう。
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752 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 01:27:38.70 ID:Kr8ybywl - >>751
そういうのは解釈次第であり、経験上、あまり建設的な議論にならない。 duhkhaと現代日本人にとっての「苦」は全然ニュアンスが違う可能性もあります。 苦の定義とは何か、サンスクリット語やパーリ後、マガタ語、中国語、日本語でのそれぞれの「苦」と訳されてる語 の意味の範囲や用法(地域差だけでなく時代差もある)、そしてどの言葉が本当にブッダが言った 言葉なのか、どれが後世に付加された思想や解釈なのか、そういう煩雑な議論になってしまいます。 そしてそういう議論はネット上に溢れてますし、研究としては面白いですが、学術的な決着がつかない 限り修行の役には立たないでしょうし、論争のための論争なら、ブッダの戒めるところです。 だからとりあえずは、現代人が現代日本語で考えて、「一切は苦である」と言われてもぴんと こないなら、それはその人の自己観察とは違うのだから、気にしなくていいと思います。 観察が大事であって、自分を洗脳してはいけません。 ところで、 >生命の行動原理が苦に基づいていることを一切皆苦というのではないのでしょうか? 行動原理が苦に基づいていますか? 動物の行動の多くは、本能に基づいていると思いますが。しかし本能だけでもない。 その場の判断で、色んな行動を取りますね。
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754 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 01:50:58.26 ID:Kr8ybywl - >>753
> 欲望はそれが満たされないと苦痛であるから、不安をもたらすから、満たそうとするのではないでしょうか? そういう場合もあるね。だけどそれだけで行動しているわけではないでしょう? 人助けも、そう感じますか? 昼食をうどんにしようかラーメンにしようか迷って、ラーメン選んだら、それも苦に基づいていますか? > 理性に基づかない本能は生を維持するために働いているので死という苦を避けて働いているのではないでしょうか。 本能の機能の多くは、確かに、身の安全を守るために機能します。 しかしそれだけではないですよね。子孫を残すためにも機能します。 個体の生の観点からは、子孫を残さないのはその個体の生と関係無いですし、 個体の死後種が滅びたって、個体にとってどうでもいいことなはずです。死んだ後のことだから。 それに、自殺する人がいますね。死という苦を避けるどころか、積極的に選択してしまっています。 他の苦の方が大きいからというのが一般的ですが、必ずしもそうではないでしょう。 特に現代のように医療が高度になると、自ら死を選択しなければ、いつまででも長生きできてしまう 時代に近づいてくるでしょう。「もう十分生きた」という納得で、自殺するということもあるかもしれません。 それは苦に基づいていると言えるでしょうか?お釈迦様の最後も、もっと生きようと思えば生きれたのに、 自ら死期を決めて死を選んだのだという解釈も存在します。
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756 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 02:12:05.08 ID:Kr8ybywl - >>755
> 理性や思いやりが働くと必ずしもそうでないですね。 > 子孫を残すのは子孫を残そうという理性的判断による場合もありますし、 > 肉体的欲求という、満たさないとどうにもならないという欲求もあるのではないでしょうか。 その通りです。しかし、肉体的欲求も避妊により、子孫を残すための行為とは切り離せる ようになりましたから、現代ではほぼ理性的な選択なのでしょうね。 それでも、「子どもが可愛いから欲しい」とか、「孫の顔が見たい」という思いが生じるのも、 本能がそう思わせているのかもしれません。 > 自殺は自分には生の苦からの逃走のようにおもいます。 「生の苦」が「生にともなう様々な苦」という意味なら、そうでしょうね。普通の人にとっては。 > 悟りを得て「もう十分生きた」という人のことはわかりません。 悟りを得てなくても、 「もう十分生きた」という人はたくさんいる気がしますが。老人ホームとか 行くと、わりとそういう人に出会えます。実は悟ってるのかもしれませんがw また、本音でない場合もあるでしょうが。 > やはりその人なりに後悔しないように選んでるんじゃないですか。 どうでしょうかねw 「苦としては小さい問題」、というのと、「苦ではない」、は区別しにくいので、絶対に苦 ではないと断定する気もありませんが、まああまりこだわらなくていい気がすます。
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758 :おさかなくわえた名無しさん[]:2012/02/13(月) 02:32:19.10 ID:Kr8ybywl - >>757
> 「もう十分生きた」という人はもう生きていたくないとか生きてるのがめんどくさいと思ったりするのでしょうか。 人によるでしょうね。「生きていたくないとか生きてるのがめんどくさい」場合は、それも苦からの逃避 と言えるかもしれません。でもそうでない場合もあるかもしれません。
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