- 谷亮子総合
962 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/10/16(火) 22:34:18.38 ID:GZiFc+mq - 谷氏は、福見が3位決定戦、男子60キロ級の平岡拓晃(27)が決勝戦でいずれも一本負けしたことに
「柔道家として一本負けはよくない。 絶対に背中は(畳に)つかないというのが鉄則」と強調。平岡が一本取られる場面を再現しながら「もう一歩、 足を入れないと。小学校の時に教わったやろ!」 と出身の博多弁が飛びだすほど興奮し、「柔道の血が騒いじゃって」と笑顔。 五輪期間中は、国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長から贈られた五輪マークの金のネックレスを 身につけて日本代表を応援するという。 五輪をテレビで観戦するのは24年ぶりで「新鮮ですね」と話した。 谷亮子 一本負けの平岡にぶちギレ 「もう一歩、足を入れないと。小学校の時に教わったやろ!」 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/07/30/kiji/K20120730003793190.html ロンドン五輪女子柔道48キロ級で5位となり、メダルを逃した福見友子(27)に対して、同階級で92年 アトランタ五輪から08年北京五輪まで、5大会連続でメダルを獲得した国民の生活が第一・ 谷亮子参院議員(36)が苦言を呈した。 金メダル候補だった福見は、北京五輪準決勝で谷氏を破って金メダルに輝いたアリナ・ドゥミトル(ルーマニア)と 準決勝で対戦して敗退。3位決定戦では、エバ・チェルノビチュキー(ハンガリー)に敗れて5位に終わった。 アトランタ以来、谷氏が続けてきた同階級での連続メダルが途絶えてしまったことについて、谷氏は一部報道で、 「心技体の“心”の部分が、うまくコントロールできていなかったように感じた。1回戦で格下の相手と戦っても、 的を絞れないというか、淡々と試合をしてしまっている面があった。心が整わないと技も体も反応できない」などと 語った。 この発言が物議をかもしているというのだ。というのも、谷氏と福見は同階級であったため、因縁浅からぬ間柄。 02年4月の「全日本選抜柔道体重別選手権大会」48キロ級の1回戦で、谷氏は当時、土浦日大高校2年だった 福見に敗退。アトランタ五輪決勝で敗れて以降、続いていた連勝記録は65でストップ。また、12年間、対日本人 無敗だったが、この連勝記録も98で止められてしまった遺恨がある。 そして、北京五輪に向けた07年4月の「全日本選抜柔道体重別選手権大会」48キロ級の決勝で、谷氏は再び 福見に敗れており、谷氏にとって、福見は“天敵”そのもの。ところが、全日本柔道連盟は同年の「世界柔道選手権 大会」代表に、福見ではなく、過去の実績を重視して谷氏を選んだ。結局、福見は五輪に出るための大きな実績 作りとなる同大会への出場がかなわず、五輪出場が絶望的となり、この選考は物議をかもした。 08年2月に右足を骨折した福見は、北京五輪最終選考会を兼ねた同年4月の「全日本選抜体重別選手権大会」 に、故障を抱えたまま強行出場したものの、1回戦で敗退し、五輪への道が完全に途絶えた。結局、同大会で 谷氏は決勝で山岸絵美に敗退したものの、これまでの実績から谷氏が五輪代表に選ばれた。 結果的に北京五輪で、谷氏は銅メダルに終わり、3大会連続金メダルを逃したが、これに関して、「全柔連が 07年の『世界選手権』の代表に福見を選び、五輪に福見を出していたら、もっといい試合ができた」などと やゆされたこともあった。 誰がどう見ても、谷氏の北京五輪出場は実力で勝ち取ったものではなく、過去の実績重視で、その影で福見が 犠牲になったのは明らかだった。谷氏は国内外問わず、2敗を喫した対戦相手は福見のみ。苦手としていた福見 に対しての苦言も、「谷氏が福見に言う資格はない」と批判の声が上がっても致し方ないところだろう。 (落合一郎) メダル逃した“天敵”福見友子に苦言呈した谷亮子氏に批判の声も… http://news.livedoor.com/article/detail/6813846/
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