- 【存置】死刑存廃論10【廃止】
680 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 00:38:56.30 ID:hswtar++ - >>678
1「娑婆」という言葉から学歴を想像するってかなり飛躍していると思うが 2仮に君の想像が当たっていたとして、だから何?俺の学歴がどうだろうと、それで俺の言が間違っているということにはならないと思うが。
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683 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 03:13:39.63 ID:hswtar++ - >>681
>そちらが応報に重点を置く以上、まずは「応報か予防か」についてお互いにコンセンサスが形成できない限りかみ合わないと思う。 「批判」というのは必ずしも「かみ合っている」必要は無い。 例えばガチガチの功利主義者に対して「少数を切り捨てるのっておかしくね?」と言っても「かみ合わない」だろうが、 しかしその批判が的外れというわけでもない。 >あと、先にも少し述べたけど、保安処分の対象として主に想定しているのは、窃盗や覚せい剤など常習性の高い犯罪の受刑者のほか、 >死刑・無期刑が法定されていないながらも危険性の高い事犯(致死傷結果を伴わない強盗・性犯罪など)であって、 >「まだ死刑・無期刑に相当する凶悪犯罪は犯していないけれども、いずれやってしまう危険が高い」という者。 ならそれ死刑存廃論と関係なくね? 問題となっているのは、「死刑相当の凶悪犯罪者(主に殺人者)をどうするか?」なんだから。
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684 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 03:16:27.46 ID:hswtar++ - >>682
>本来ならばそれまでに犯罪歴がなくともこれから犯す危険性の高い者にも保安処分を科すことができればよいのだけれど、 そう、保安処分とは結局のところそういう考えだ。 「危険性が高い」と判断されれば何の罪も犯していない人間を閉じ込めても構わないとするし、むしろそれを理想とする。 応報の観点から、それは不当であると考える。
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685 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 03:29:38.12 ID:hswtar++ - >>682
>最終的に保安処分の必要を主張するのは検察官、是非を決定するのは裁判所の仕事になると思うけど、 >それらも犯罪者と職務上常に接している以上、適正妥当な判断を下すことは決して不可能ではないはず。 無理だと思うがね。 そもそも「心理学」という物自体、完成された学問とは言えない。控えめに言っても未熟、ともすればでたらめですらある。 (なぜなら、現状の心理学は現象論の枠を超えていないからだ。) また、逆に言えば、仮に心理学が十分成熟したものであるとすれば、犯罪歴の無い者の犯罪性向を見抜くことも可能だろう。
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688 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 12:44:42.53 ID:hswtar++ - >>687
>「批判の内容には異論はないけれど、私はそれでもなおこれがいいと思う。」と言われてしまえば それは単なる開き直りだろ。 >裁判所は現に量刑判断の基礎として再犯可能性を認定しているわけですから 正直、裁判所の再犯可能性の判断は、そこまで当てになるものではないと思う。 「再犯可能性は低いから減刑する」という判決が出て、でも再犯しちゃったケースでも、別に裁判官や弁護人が責任問われるわけじゃないし。
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691 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 13:10:17.41 ID:hswtar++ - >>689
>土台となる価値観そのものを徹底的に批判しなければずっと平行線になると申し上げたいのです。 だから何?平行線でないと思っていたのかな? 死刑賛成派と死刑反対派では土台となる価値観そのものが異なる。故、究極的には、このスレは常に平行線だ。 >裁判所が再犯可能性を判断できないとすれば、「再犯のおそれが高いため、厳罰を相当とする」ということもできないわけですから。 実際、それにも無理があると思っているよ。 刑罰は単に「悪いことしたから罰する」。そのついでに「一般予防・特別予防もできる」程度で十分だと思うが。 (既存の言葉で言えば、相対的応報刑の立場に立っている)
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695 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 21:46:39.67 ID:hswtar++ - >>692
>すなわち、人間は程度の差こそあれ、完全に他人に善をなす天使でもなければ、完全に他人に悪をなす狼でもないということです。 >したがって、ある時点のある犯罪行為をもって永久に更生可能性がないと判断し、社会生活への復帰の可能性を完全に断つことは適切ではないと考えております。 >そのうえで、国家が可能な限り手をつくしてなお犯罪性向の残る人間に対しては、無期刑の仮釈放を認めない、保安処分を適用するなどの措置をとるべきであるという意見です。 そこが矛盾していると思うのだがね。 社会や国家も天使でも狼でもない「人間」の集合体なのに、「犯罪者に対してのみ、善を成す天使であれ」と言っているようなものなわけで。 犯罪者が被害者に対して残酷であったのと同程度には、社会や国家も犯罪者に対して残酷であって良いと思うのだが。 仮に「応報」という概念を抜きにして考えたとしても、相互性/平等性の観点からな。
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698 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 23:03:40.91 ID:hswtar++ - >>697
その辺が矛盾というかダブルスタンダードだと思うんだよね。 君(や他の死刑廃止論者)は犯罪者の悪性に対しては過剰なくらい寛容なのに、 国家や社会に対しては、過剰なぐらいの善性を要求する。 それはダブルスタンダードであり、不公平だと思うのだが。
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700 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 23:12:34.12 ID:hswtar++ - >>697
>そして、いかに道徳的レベル低い残酷な悪人相手であっても、人は自らの道徳的レベルを相手に合わせて残酷な悪人になるべきではないでしょう。 >卑近な例でいえば、相手が悪態をつくからといって、自分が相手に悪態をつくことが許されるわけではない。それは、自らの品性を卑しめることにほかなりません。 「殴られた時に、殴り返すことが許されるわけではない」と言うぐらい滅茶苦茶な考えだな。 それでは一方的にサンドバックになるだけであり、悪人がやりたい放題するだけだ。 「自衛」という観点から見ても、「勧善懲悪」という観点から見ても、悪人を攻撃するのは「正しい」ことだよ。 むしろ、悪人に対して君のような「寛容」を示すのは、間接的に悪を蔓延らせる行為であり、「悪行」とすら言えると思うが。 「囚人のジレンマ」って知ってるか?
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703 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 23:22:40.72 ID:hswtar++ - >>699
>犯罪者を生かしておくこと自体が「過剰なくらい寛容」であるという価値観をお持ちであるならば、まさしくそうなのでしょう。 違う。そっちじゃない。死刑の是非以前の問題として 「人や国家は、悪人に対しても悪をなすべきではなく、むしろ善をなすべきである」 という考えが、既に「過剰なくらい寛容」な考えだと言っているのだよ。 俺としては、「悪人は不幸になる」のが「正義」だと思うのだよ。 この観点で見るに、「悪人に対して善を成せ」「悪人を幸福にせよ」というのは、「邪悪な思想」「悪の味方」としか思えない。
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705 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 23:40:59.94 ID:hswtar++ - >>701
>>700は「正当防衛」というよりは「応報」「報復」という観点で言った。 つまり、「先に暴力を振るったのはあっちなのだから、こっちが復讐心で殴り返して何が悪い」という考えだよ。 君ら死刑廃止論者は犯罪者がそのエゴで他者を殺すことを許容するのだろう? ならば、社会の側がそれに対する反撃で犯罪者を殺して何が悪いんだ? それとも先制攻撃よりも報復の方が罪深いとでもいうのか? ああ、というと「殺人を許容するわけではない」と返ってくるかな? しかし俺からすれば、君らは殺人を許容しているように見えるのだよ。 殺人を「許さない」という場合、そのための具体的な行動は大まかにわけて二つだ。 すなわち、「殺人を未然に予防する」か「殺人者に対して攻撃(応報)を行う」かだ。 しかし、殺人を100%予防することはできない。たとえ凄くがんばって99%予防できたとしても、1%の殺人は残る。 予防一辺倒の考えの場合、「1%の殺人は許容する」という形になってしまうのだよ。 故に、「殺人を許容しない」のであれば、「応報」という考えを認めなければならない。 「応報」ならば、未然に予防できなくても、「許さない」ことが可能だからね。 しかし君ら死刑廃止論者は「応報」という考えを否定している。 故に、君ら死刑廃止論者は「殺人を許容している」のだよ。
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706 :法の下の名無し[sage]:2013/01/13(日) 23:46:45.66 ID:hswtar++ - >>704
>私は悪人が善人になるよう導くことが正義であると考えます。 殺人以外の罪ならばまだしも、殺人の場合被害者は死んでいる。被害者の「幸福になる機会」は失われているわけだ。(少なくとも、現世においては) 被害者には「幸福になる機会」が与えられないのに、加害者には「幸福になる機会」が与えられるのは、不公平だし不平等だと思うが。 後仮に、本当に悪人が善人に更生したとしたら、己の罪深さにおののいて自殺すると思うがね。 自殺しないとすれば、それは反省が足りていない。本当に更生したわけではないということだ。
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