- レイプ(性犯罪)の刑罰は重過ぎるin法学板V
172 :404[]:2011/11/25(金) 15:38:11.09 ID:gKAtcURw - >>165
>あなたは私の視点やら方法やらの批判をしているようで >内容的な批判じゃないもんね。 私のあなたに対する批判が説明不足であやふやであった事を お詫びします。もう一度説明させて頂きますと あなたの議論は、この答えはこの中にあるかも知れない、 あの中にあるかも知れないと 答えがあるかも知れないとする領域を、或いはその領域から 答えが導かれる際にはおそらくこのような引っ張り出され方が されるであろうとか、理論のシルエットしか語っておられない と感じた所です。 つまり、命題の問いに対する断定(主張)とその断定するに至る 理由(根拠)のスタイルが欠けていると感じたのです。 私は、あなたの主張と根拠から議論を出発したかったのです。 「なぜ」からのintutionが私の思考スタイルでもあるので あなた自身の、主張と根拠に至るあらゆる可能性の模式図だけしか 述べていない傾向があると感じた事に違和感を覚えた次第です。
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173 :404[]:2011/11/25(金) 15:38:57.38 ID:gKAtcURw - >>165
"女児は下着姿ですら逮捕、男児は性器をTVで垂れ流し放題" という問題にあなたが直接言及をされた内容は 「世間の意識があるなかでは困難ではないか」 「規制するとすれば、なんだか窮屈さを感じる。」という事かと 思いますが、次の2点の違いを徹底的にはっきりさせなければなりません。 @タバコの禁煙スペースをどこまでにするか、これは勿論色んな立場嗜好の 人達がいる中で、まずはどこかで境界線を決めなければなりません。 その線引きは常に揺れ動いていますが、とにかくは決まったルールに対して それを守る事が求められ、これはルールや法律が上位にある場合です。 なぜならそれらはフィールドワークの手法により国民全体の総意から 導かれたものでありかつどこかで線引きしないと何も決まらないからです。 A対してこの問題は国民全体の総意がどれほどの位置にあるかとは 無関係に独立した線引きの問題点を抱えています。 端的に言えばそれは男女平等に矛盾するという"原理的"に欠陥の ある線引きだからです。 これを規制すればなんだか窮屈だと自然に感じるとするなら、 じゃあそもそも女児に下着でさえ逮捕というのが行き過ぎではないか という力学も同時に発生します。それがスレタイの問いにも 関わってきます。理由は次のレスに(続)
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174 :404[]:2011/11/25(金) 15:41:22.18 ID:gKAtcURw - >>165
その奥平先生のお話はオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア と違って味わいを感じませんでした。 "猥褻な表現を規制する動機のみを述べたところでその境界線の適切な 位置について何も主張した事にはならない"のは自明だからです。 しかし藤本哲也先生という学者が日本にメーガン法の導入に反対した 際に「性犯罪だけを特別にそう扱う根拠が乏しい」と述べた事は、 国民全体の総意がメーガン法に対してどの位置にあるかとは 無関係に独立した、原理的な問題点です。 これは即ち(男性から女性に対する)性犯罪の必要以上の スキャンダラス性への牽制であって、純粋に思索的に その線引きの異常性を"原理的に"指摘した行為と考えられます。 よって今のケースの場合に戻ると 上の>>173の@とAをより厳密に精密に区別し、あらゆる反例や批判に まず耐えるものを構築する事が第一歩であると思います
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175 :404[]:2011/11/25(金) 15:42:15.82 ID:gKAtcURw - >>169
>何より、今手元にその本も無いし、よしんばある程度概略を述べたとしても、 >お前は信じるのか?人が述べる場合には >都合の良い解釈を通して述べている可能性も充分想定されるものだ。 俺はおまえの語った事を鵜呑みになどただの一つもしないし する訳がない。誰かが或る主張をした事に対して常になぜかその理由を 求めるからだ。"自分自身"が主張した事に対しそれをなぜそう思うか、 それがどのようなものであるのか、自分の主張した事に自身で説明を与え ようとしない者こそ俺は何も信用しない。 その本に該当箇所があるというおまえの主張も、その本を参照しなければ まともな議論が出来る訳がないという主張も俺がそれを"鵜呑み"にし て信じる論拠がない。 "これを鵜呑みにして俺の言う通りにしろ"とし、これに従わない者を 甘えと揶揄するのは、おまえがまともなゼミを一度も経験した事のない 何よりの証だ。 あと一般論として或ることが不可能だと証明するためには、それが 原理的に不可能である事を完全に論証し切らなければならない。 如何にそれが困難かをいくら語っても、それは原理的に不可能である事を 説明した事にはならない。 それを押し付けようとする事は単に価値観やイデオロギーの 押し付けでしかなく、それこそは法的議論ではない。 おまえは右翼または左翼のように イデオロギーを押し付けに鼻息を荒くしてわめき散らしに来たに過ぎない。
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