- 【余裕の】河合塾天王寺校5限目【情報漏洩】
355 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:24:56.42 ID:FKIprK100 - ぜひ皆さんも歴史的に伝統的に持っていた日本人の徳目、日本人の
素晴らしさを再評価してそれをなんとか次の世代に伝えてゆくとゆう 仕事に日本人ひとり一人が参加してほしいのです。 それが台湾のためなのです。日本がちゃんとしていなてれば台湾は 存在できない。日本と台湾は運命共同体だと考えています 日本は自虐史を止めて責任をもってこの地域のリーダーであるという その使命を果たしてほしい日本以外にはないのです。覇権主義国家の 中国にこの地域のリーダーシップをとってもらっては皆さんが迷惑す るのです。ですから皆さん、覚悟を決めてこの地域のリーダーを 担えるような国をつくり上げていってください。金美齢さん 民主党が東日本大震災で日本人を守ったか?朝鮮人擁護に懸命だが! 民主党支持母体には民団や朝鮮総が存在する日本人の命より朝鮮人の 命のほうが重いようだ! 身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 吉田松陰。
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- 【余裕の】河合塾天王寺校5限目【情報漏洩】
356 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:25:46.48 ID:FKIprK100 - 日本国は世界で初めて白人に対して国家間戦争を挑んだ有色人種である。それはつまり"日露戦争"である。明治の
後半にあっても未だアジアは白人の植民地支配による搾取に苦しめられ、不等な虐殺やあからさまな条約違反に泣か されていた。北からの脅威であるロシアが挑発的な南進を行うに至って、日本国はこれに対し断固抵抗、日露戦争が 勃発する。大平洋を我が者顔で歩くウラジオ艦隊を撃滅後、ついに無敵と詠われたバルチック艦隊をも再起不能に貶 める。この出来事はアジアの各地に大いなる感動と勇気を与える。"有色人種でも白人に勝てる"それを行動で示し たのは我が日本国である。時のタイやインドの権力者は"日本絶賛"を高らかにうたったという。これは日本人の高 い国防意識と、戦略・戦術両面の才能、また高度な民族独立精神を持っていたことの証しである。日本国は世界で初めて白人に対して国家間戦争を挑んだ有色人種である。それはつまり"日露戦争"である。明治の 後半にあっても未だアジアは白人の植民地支配による搾取に苦しめられ、不等な虐殺やあからさまな条約違反に泣か されていた。北からの脅威であるロシアが挑発的な南進を行うに至って、日本国はこれに対し断固抵抗、日露戦争が 勃発する。大平洋を我が者顔で歩くウラジオ艦隊を撃滅後、ついに無敵と詠われたバルチック艦隊をも再起不能に貶 める。この出来事はアジアの各地に大いなる感動と勇気を与える。"有色人種でも白人に勝てる"それを行動で示し たのは我が日本国である。時のタイやインドの権力者は"日本絶賛"を高らかにうたったという。これは日本人の高 い国防意識と、戦略・戦術両面の才能、また高度な民族独立精神を持っていたことの証しである。
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- 【余裕の】河合塾天王寺校5限目【情報漏洩】
357 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:26:12.33 ID:FKIprK100 - 日本国は世界で最も歴史の古い王家の血脈、【天皇】を国家元首として戴いてきた。今上天皇は実に125代目にあた
り、英国王室のエリザベス二世で38代目、欧州最古といわれるデンマーク王室のマルガレーテ二世でさえ54代目で ある。遥か神代から続くその万世一系の血筋は地球上に於いて比類なき重みと日本国の永劫の繁栄を象徴し、自国の 歴史に対する深い理解と気高い誇りを表している。日本国は世界で最初に【隋】の冊封体制に反旗を翻した国である。冊封体制とはいわゆる"中華思想"であり、世界 の中心に中華ありという低俗で傲慢な思想である。5世紀ごろまでの東アジアはこの冊封体制が徹底しており、日本 国(倭)もその支配下にあった。だが6世紀末、日本国の英雄の一人、聖徳太子がこれに反旗を翻す。かの有名な一 文「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」という書簡を送るのである。これは支那の皇帝に対 し同じ呼称である「天子」という名前を使うことによって、対等の立場を主張するものである。これに激高した皇帝 は負け惜しみ半分に日本国に対し「勝手にしろ」と捨て台詞をはく。これにより我が国はその後中華に毒されない独 自の文化を育むのである。これは日本民族がごく初期の段階から独立した民族としての高い意識を持っていた証しで ある。ちなみに朝鮮は現代に至っても冊封体制から抜け出せていない。
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- 【余裕の】河合塾天王寺校5限目【情報漏洩】
358 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:26:37.27 ID:FKIprK100 - 日本国は世界でも例のない、国家体制転換時の無血革命を成し遂げた国である。徳川慶喜が大政奉還を行い朝廷が復
権し、国が開かれた。そして士農工商の階級制を廃したのは他でもない、最も上位にあった武士階級である。世界で は常に下克上があたりまえであり、殺戮と謀略によって革命が成り立ってきた。武士、つまり侍が己の利益を度外視 し、歴史的英断を可能にした背景には、日本人の"滅私奉公"つまり公共心の完成度の高さを表しており、現代日本 にも受け継がれている。
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- 【余裕の】河合塾天王寺校5限目【情報漏洩】
359 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:27:08.20 ID:FKIprK100 - 日本国は世界で唯一、白人による植民地支配を受けていない有色人種国家である。欧州民族が西へ東へ次々と食指を
伸ばし、植民地競争を繰り広げ、ついに地球の裏側に達して"地球植民化"を達成せんとした矢先、最も東にあった 最後の島国が驚異的な力でそれに立ち向かってきた。白人にしては予想外であった。だが我等が祖国は強靱に闘い抜 き、ついにその主権と国土を守りとおしたのである。さらに日本国が孤独に闘い続けた3年9ヶ月が過ぎた後に訪れた のは、アジアの解放であった。欧米は次々と植民地を手放し独立を認めた。日本は戦争に負けたが"大東亜共栄"と いう現実を勝ち取ったのである。インド、インドネシア、マレーシア、フィリピン等間接、直接に日本国の力のもと に独立を勝ち取った国がほとんどである。"日本はアジアの国々を侵略した"というアホがいる。日本国が闘ったの はインド人ではなく、そこで傲慢をかましていたイギリス人である。フィリピン人ではなくアメリカ人である。アメ リカに味方するフィリピン人とも闘ったかもしれないが、白人による侵略に徹底的に対抗し、アジアの主権を守るこ とが日本国の国防上必要なことであったのだ。村を襲う鬼を退治するのは、自分を守るためではなく、村を守るため なのである。 白人の力に屈しなかった国、それが我等の祖国、"日本国"であることを、決して忘れてはならない。
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- 【余裕の】河合塾天王寺校5限目【情報漏洩】
360 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:28:13.21 ID:FKIprK100 - チベットという国(かつては国連も認めた独立国であった)をご存じだろうか。
現在は無理矢理中国領土に入れさせられているが, チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立 した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947 年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。 毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から 追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣 言した。 「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の 帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」 これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。 「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力 などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」」 その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れてい た8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしてい た英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形と なってしまった。 1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これにより チベットの外交権は奪わ れ,中国軍に占領されてしまったのである。 又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初 めての食料危機に見舞 われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」 と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。 この仕打ちに対して,チベット人の抵抗運動は全国的に広がりゲリラ戦で解放軍に 打撃を与え,1959年「ラサ決起」と呼ばれた過去最大のデモを行う。これに対し, 中国軍は「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を始める。強姦・殺害され,逃げた 人の大半も寒さと飢えと病に倒れた。
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- 【ぶらり】代ゼミ京都校17【京散歩】
392 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:28:24.56 ID:FKIprK100 - チベットという国(かつては国連も認めた独立国であった)をご存じだろうか。
現在は無理矢理中国領土に入れさせられているが, チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立 した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947 年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。 毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から 追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣 言した。 「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の 帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」 これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。 「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力 などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」」 その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れてい た8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしてい た英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形と なってしまった。 1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これにより チベットの外交権は奪わ れ,中国軍に占領されてしまったのである。 又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初 めての食料危機に見舞 われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」 と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。 この仕打ちに対して,チベット人の抵抗運動は全国的に広がりゲリラ戦で解放軍に 打撃を与え,1959年「ラサ決起」と呼ばれた過去最大のデモを行う。これに対し, 中国軍は「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を始める。強姦・殺害され,逃げた 人の大半も寒さと飢えと病に倒れた。
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- 【味噌汁】大宮予備校 part7【紅茶】
128 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:28:37.37 ID:FKIprK100 - チベットという国(かつては国連も認めた独立国であった)をご存じだろうか。
現在は無理矢理中国領土に入れさせられているが, チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立 した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947 年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。 毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から 追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣 言した。 「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の 帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」 これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。 「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力 などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」」 その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れてい た8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしてい た英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形と なってしまった。 1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これにより チベットの外交権は奪わ れ,中国軍に占領されてしまったのである。 又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初 めての食料危機に見舞 われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」 と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。 この仕打ちに対して,チベット人の抵抗運動は全国的に広がりゲリラ戦で解放軍に 打撃を与え,1959年「ラサ決起」と呼ばれた過去最大のデモを行う。これに対し, 中国軍は「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を始める。強姦・殺害され,逃げた 人の大半も寒さと飢えと病に倒れた。
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- 【代々木ゼミナール】代ゼミ福岡校part39【福岡校】
571 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:28:48.85 ID:FKIprK100 - チベットという国(かつては国連も認めた独立国であった)をご存じだろうか。
現在は無理矢理中国領土に入れさせられているが, チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立 した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947 年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。 毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から 追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣 言した。 「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の 帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」 これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。 「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力 などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」」 その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れてい た8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしてい た英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形と なってしまった。 1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これにより チベットの外交権は奪わ れ,中国軍に占領されてしまったのである。 又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初 めての食料危機に見舞 われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」 と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。 この仕打ちに対して,チベット人の抵抗運動は全国的に広がりゲリラ戦で解放軍に 打撃を与え,1959年「ラサ決起」と呼ばれた過去最大のデモを行う。これに対し, 中国軍は「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を始める。強姦・殺害され,逃げた 人の大半も寒さと飢えと病に倒れた。
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- 【いいかげん】高松高等予備校【やめたい】
328 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:29:00.51 ID:FKIprK100 - チベットという国(かつては国連も認めた独立国であった)をご存じだろうか。
現在は無理矢理中国領土に入れさせられているが, チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立 した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947 年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。 毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から 追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣 言した。 「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の 帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」 これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。 「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力 などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」」 その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れてい た8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしてい た英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形と なってしまった。 1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これにより チベットの外交権は奪わ れ,中国軍に占領されてしまったのである。 又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初 めての食料危機に見舞 われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」 と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。 この仕打ちに対して,チベット人の抵抗運動は全国的に広がりゲリラ戦で解放軍に 打撃を与え,1959年「ラサ決起」と呼ばれた過去最大のデモを行う。これに対し, 中国軍は「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を始める。強姦・殺害され,逃げた 人の大半も寒さと飢えと病に倒れた。
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- 【いいかげん】高松高等予備校【やめたい】
329 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/11/26(土) 21:29:22.48 ID:FKIprK100 - チベットという国(かつては国連も認めた独立国であった)をご存じだろうか。
現在は無理矢理中国領土に入れさせられているが, チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立 した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947 年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。 毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から 追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣 言した。 「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の 帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」 これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。 「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力 などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」」 その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れてい た8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしてい た英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形と なってしまった。 1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これにより チベットの外交権は奪わ れ,中国軍に占領されてしまったのである。 又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初 めての食料危機に見舞 われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」 と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。 この仕打ちに対して,チベット人の抵抗運動は全国的に広がりゲリラ戦で解放軍に 打撃を与え,1959年「ラサ決起」と呼ばれた過去最大のデモを行う。これに対し, 中国軍は「血塗られた金曜日」と呼ばれる大虐殺を始める。強姦・殺害され,逃げた 人の大半も寒さと飢えと病に倒れた。
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