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名無しさん@お腹いっぱい。
【センターから】湯木知史【医系小論文】

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【センターから】湯木知史【医系小論文】
270 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/19(金) 12:13:03.50 ID:kFCwEfud0
第4講では「比喩」に関する無知と言語センスの無さを露呈してしている。

私は経済学者です。そして、経済学者とは現代において数少ない「悪魔」の一員です。
人類は太古の昔から利己心の悪について語ってきました。他者に対して責任ある行動を取ること―それが人間にとっての真の「倫理」であると教えてきたのです。だが、経済学という学問はまさにこの「倫理」を否定することから出発したのです。
(中略)資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだと言っているのです。
A経済学者の「悪魔」ぶりがもっとも顕著に発揮されるのは、環境問題に関してでしょう。多くの人にとって、資本主義が前提とする私的所有制こそ諸悪の根源です。環境破壊とは、私的所有制の下で個人や企業の自己利益の追求によって引き起こされると思っているはずです。
だが、経済学者はそのような常識を逆撫でします。私的所有制とは、まさに環境問題を解決するために導入された制度だというのです。

問1 傍線部A「経済学者の『悪魔』ぶりがもっとも顕著に発揮されるのは、環境問題に関してでしょう」とあるが、そのように言えるのはなぜか、一〇〇字以内で説明せよ。(原文 傍線部(ア)について、なぜそのように言えるのかを簡潔に説明しなさい。)

またしても原文では字数指定のないものを指定している。
それはいいとして、以下の説明の決定的な欠陥が分かるだろうか。
【センターから】湯木知史【医系小論文】
271 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/19(金) 12:15:55.44 ID:kFCwEfud0
まず、設問の「なぜ」が直接修飾する傍線部の表現は「環境問題に関してでしょう」である。
したがって、この表現が「帰着点」である。次に、この「環境問題に関してでしょう」とされている対象は、
傍線部の「経済学者の『悪魔』ぶりがもっとも顕著に発揮されるの(こと)」である。
したがってこの表現が「出発点」である。
 そして、「出発点」の「経済学者の『悪魔』ぶり」は、「比喩的表現」である。
そこで「直接的表現」を探す。そうすると、、第一段落の「経済学者とは現代において数少ない『悪魔』の一員」に目がいく。
そして、第二段落からこの「悪魔」という比喩表現は、「『倫理』を否定する」者であり、
「倫理」とは「他者に対して責任ある行動を取ること」であるとわかる。
この<『倫理』の否定>は、経済学においては、第三段落から明らかなように、
「資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進する」という考え方になる。
さらに本問では「環境問題」に置ける「経済学者の『悪魔』ぶり」が問題となっている。
これは[本文を読解する)の第五段落で見たように、<経済学者が、
私的所有制を環境問題の解決のための制度だと考える>ことなので、
「出発点」の「直接表現」とは、<経済学者が、私的所有制を環境問題の解決のための制度だと考えること>となる。
 さらにこの表現を踏まえて、「論理の飛躍を埋める表現」を探す。
そうすると[本文を読解する)の第四段落で見た<一般の人々は、
資本主義が前提とする私的所有制の下での個人や企業の自己利益の追求によって引き起こされると考えている>
ことに目が向く。これは<経済学者の考え方>とは正反対の考え方である。
つまり、<経済学者の考え方>は<一般の人々の考え方>から見れば、
第五段落に「逆撫で」とあるように、「『悪魔』ぶりがもっとも顕著に発揮される」場合といえる。
このように「論理の飛躍を埋める表現」は本文中にある表現そのものではなく、
文脈から読み取れる「論理関係」でもありうることに注意する。
したがって、「論理の飛躍を埋める表現」は、<一般の人々の考え方と経済学者の考え方とはまったく逆のものである>となる。
(59〜60頁・太字/橙字本文ママ)
【センターから】湯木知史【医系小論文】
272 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/19(金) 12:17:38.18 ID:kFCwEfud0
「出発点」だの「帰着点」だの湯木師が得意げに並べる意味のない与太はどうでもいい。
岩井がなぜ「経済学者」を「ペテン師」や「天の邪鬼」ではなくわざわざ「悪魔」に譬えたのか、
言い換えると「経済学者」と「悪魔」にはどんな共通点があるのか、
その点についての考慮が全く無い。

「『倫理』を否定する」者だと書いてある?倫理を否定するイコール「悪魔」なのか?
それだけなら他にもあるだろう。
けれども岩井は敢えてインパクトの強い「悪魔」を冒頭から持ってきた。
そもそも「悪魔」とは何なのか。

あく‐ま【悪魔】
1 残虐非道で、人に災いをもたらし、悪に誘い込む悪霊。また、そのような人間。
2 仏道修行を妨げる悪神の総称。魔。魔羅。
3 キリスト教で、神の創造した世界に対する破壊的で攪乱(かくらん)的な要素。
悪への誘惑者。地獄に落ちた天使という解釈もある。サタン。

こういう性質が経済学者になければ岩井は経済学者を「悪魔」になど譬えはしない。
つまり、経済学者とは言葉巧みに人を悪に誘い込み、災いをもたらす邪悪な存在である、
という自虐がこの文章の基調であり、これが欠けていたらこの文章を読めたことにはならない。
当然、出題もそこを中心に聞いてくる。
しかし、湯木師の解答は
【センターから】湯木知史【医系小論文】
273 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/08/19(金) 12:20:03.57 ID:kFCwEfud0
【湯木】
経済学者は私的所有制を環境問題解決の制度だと考える。
これに対 し、一般の人々は私的所有制下での個人や企業の自己利益追求こそが環境問題の原因だというように、
経済学者の考え方とは全く逆の考え方をとるから。(99字)

長いだけで2文にした意味もなく、「悪魔ぶり」も「最も」も表現されていない書き賃狙いのレベル。
そもそも経済学者の「悪魔ぶり」を示さなければイケナイのに一般人の考え方で締めている点だけで0点にされてもおかしくない。
電話帳も少しマシというレベルだが。

【電話帳】
環境破壊とは私的所有制の下で個人や企業が自己利益を追求する結果引き起こされると考える大多数の常識に反して、
経済学者は環境問題を「共有制の悲劇」と考え、
私的所有下での自己利益の追求こ そが環境破壊を防止すると主張するから。(109字)

電話帳の解答は「常識」に反するから「悪魔ぶり」を発揮すると言えなくもないか。
採点官が日本語に厳しければ「環境破壊とは・・・されると考える大多数の常識」がおかしい(「と」がない方が分かりやすい)と減点されるかもしれない。

本気で「悪魔ぶり」を示すならこれくらい書かなければイケナイだろう。
[例]経済学者は、私的所有制によって環境破壊が起こると考える多くの人々に、
本来「倫理」に反する自己利益の追求こそが環境破壊の防止策だと主張して、
太古の昔から「悪」とされてきた利己心を巧みにあおり立てたから。(100字)

こう書けば、いかに「経済学者」が「ワル」であるかは自明である。
本当は「詭弁を弄する」なんて使いたいのだが、試験会場で書けない漢字を使うのはアンフェアなのでやめておいた。

深読みのしすぎと思われるかもしれないが、出題者もそう考えていることは次の問題からも分かる。


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