- 東大や早稲田と違って、慶応や学習院って・・・
51 :名無しなのに合格[]:2008/07/26(土) 20:09:21 ID:/eNc3fnh0 - ---引用---
福澤は1867年に再度渡米。新しい教育の必要性を感じ1868年、時の元号にちなんで塾名を「慶應義塾」と定めます。 イギリスの共立学校(Public School)の制度に倣い、授業料制で藩、国家から独立した近代教育の学塾に改めました。 http://www.admissions.keio.ac.jp/exam/PDF/p002_005.pdf ---引用終わり--- そもそも「義塾」は"Public School"の訳として福澤諭吉が考えたもの。 イギリスでパブリックスクールを視察して、そのシステムと理念に感銘を受けた。 だから「私立でありながら公共のためにある学校」というパブリックスクールの理念を「義塾」に込めた。 具体的なシステムとしても授業料制の導入とか、そういう面も参考にされている。 だからその授業料を払える、それなりの階層の人間が慶應に集まるようになった。 と、これぐらいのことは何の予備知識のない俺でも”慶應 パブリックスクール”とかで検索すれば分かること。 ID:IbsFwI7h0には自分で調べるという習慣が無いらしく、典型的なゆとりに見える。 >それ言い出したら創立者が「参考にした」ていったら >全然中身が違っててもいいってことじゃん・ ごめん、どうしてそういう解釈が出来るのか俺には理解不能。 とりあえずお前には慶應は雲の上の存在であることは確かであろう。
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55 :名無しなのに合格[]:2008/07/26(土) 21:29:49 ID:/eNc3fnh0 - >>53
声なんか掛けなくても彼らの方から入学願書が提出されるでしょう。 尤も、安倍晋三は祖父が総理で父が・・忘れたけど政界の大物だったけど、 入れたところは成蹊だがね。
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57 :名無しなのに合格[]:2008/07/26(土) 21:49:26 ID:/eNc3fnh0 - >>52
授業料制は1つの例に過ぎないというニュアンスが見えないのかな?だがこれを導入したのは慶應が最初。 しかも「慶應義塾」と名がつく前に、10年間その塾は存在していて、 すでに福澤諭吉の塾としての名声は高かったよ。 ちなみに明治期の授業料は慶應>帝大>その他 >そもそも慶応に有力者の子弟が通うようになったのは >パブリックスクールを参考にしたからというわけではなくて、 >たとえば幼稚舎からの一貫教育をいち早く導入したとか、 >有力者の子弟を優先的に入学させたとか別の理由なんじゃないの? 完全に主観じゃん。幼稚舎の役割は大きかったかも知れんが、 もともと幼稚舎だって入塾者に子供が時折混じってきたから作ったものであって、 金持ち子弟の早期囲い込みが目的ではない。結果的に今はそうなってたとしても。
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58 :名無しなのに合格[]:2008/07/26(土) 21:51:45 ID:/eNc3fnh0 - >>43
>>47 >>49 >>52 >>56 これ全部同一人物っぽいけど、これだけ突っかかってくる理由は何なんだろうね? 慶應がパブリックスクールやキングズ・カレッジを参考に作られた学校だってのがそんなにムカツクの?w
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59 :名無しなのに合格[]:2008/07/26(土) 22:02:38 ID:/eNc3fnh0 - 先生が理想的な私立学校としたのはどこの学校か?
この答えを『百年史』では、イギリスのパブリック・スクールと推定している。 これは公共団体の基金によって運営される私立学校であるが、ロンドンでそれを視察された先生は、学校の機構や運営方法に大いに感ずるところがあったらしい。 http://www.keio.ac.jp/mamehyakka/8.htm これも見つけた。
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62 :名無しなのに合格[]:2008/07/26(土) 23:20:10 ID:/eNc3fnh0 - >>60
慶應に、パブリックスクールと同じように支配階層を引きつける名声とブランドが出来上がったんだろ。 教育水準に、卒業生の実績。そもそも慶應卒は財界の重要な地位を占めていたからな。 彼らが子供を慶應に行かせたいと思うのは自然なことでしょ。 早稲田なんかは官憲の監視下にある危険分子扱いで、就職も出世もままならず、やむなくマスコミで勢力を伸ばした。 当時のマスコミの地位は恐らくかなり低かったでしょう。
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