- 【鶏声台】「三田の理財、早稲田の政治、駿河台の法学、白山の哲学」は捏造です!【小石川区原町】 [無断転載禁止]©2ch.net
338 :エリート街道さん[sage]:2020/01/07(火) 11:18:32.35 ID:/o1xjQ3X - 今はこうなっている。
^ 『三日間東京案内』(三越呉服店、1914年) 「ニコライの教会堂へ行く。これは正しくいふと、ハリスト復活聖堂といふので、堂内の装飾至つて美麗です。(図への七) 此辺は駿河台とて医師と病院で目をつくばかり、明治大学も其の近辺に在ります。」(14頁) ^ 『帝都案内』(武藤忠義、中興館書店、1914年) 「駿河台 元和二年家康薨去の後、駿河の家人をこゝに移住させたので此名を付けたのである。高さ約二十余米、下を流れる神田川のあたりは深谷で、 老樹が茂つて居り、東京の赤壁と云はれてゐたが、中央線の鉄道が延長してから大に風致を損ねた。今はニコライ堂・明治大学等もあるが、大体医者街となつてゐる。」(77頁) ^ 『遊覧東京案内』(加藤好造、大東社、1922年) 「駿河台 (電)甲賀町 元和二年家康薨去後、駿河の家人達をこゝに移住させたので此の名がある。高さ約二十余米突、台下神田川あたりは深谷で、 老樹繁茂し、東京の赤壁と称せられた。が、中央線の鉄道延長して、大に風致を損した。今はニコライ会堂、明治大学、西園寺公望公邸等があるが、大体医者街となつて居る。」(47頁) ^ 『現代教育辞典』(日本教育学術協会編、啓文社書店、1931年) 中央大学:「所在東京神田区」(564頁) 明治大学:「東京市神田区駿河台所在」(776頁) ^ 『入沢教育辞典』(入沢宗寿著、教育研究会、1934年) 中央大学:「神田区南甲賀町にある」(897頁) 明治大学:「東京市神田区駿河台にあり」(1311頁) ^ 『教育辞典』(篠原助市著、宝文館、1935年) 中央大学:「東京神田区にあり」(618頁) 明治大学:「東京市神田区駿河台にあり」(899頁) ^ 『大百科事典 第14巻』(平凡社、1933年) 「台上には有名なニコライ堂が聳えるほか、明治大学、中央大学、日本大学等の学園があつて神田の学校区の一部を形成してゐる。」(341頁) ^ 『校歌と校風』(原田謙次著、北光書房、1943年) 「今、駿河台には日本大学の工学部も出来、中央大学も引越して来たけれど、そのかみは駿台といへばニコライと明治大学のみをすぐに思ひ浮べる程であつた。」(80頁)
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