- 日本一の学歴コンプレックス大学のツートップ、早稲田大学と慶応義塾大学、またも受験シーズン大暴れ
59 :エリート街道さん[sage]:2019/03/09(土) 12:05:36.98 ID:fbuDZNn6 - そもそも、中央大学と早稲田大学は、岡山謙吉が関わった「同祖」にちかい学校。
中央大学の開校式には、慶応の福沢と専修の相馬永胤が祝辞。 中央大学(英吉利法律学校)初代校長の増島六一郎は、きわめて特異な人物。 福沢諭吉と大隈重信の「悪事」や 法律学校が、なぜイギリス系とフランス系に別れたのか、 それには触れないのか・・・ さらに、一部の病人記者やライターが「MARCH」なる語で大暴れの 朝日新聞や読売新聞など「新聞」の歴史。 朝日も読売も、さらに毎日新聞も、中央大学あっての新聞社。 大学で「新聞学」を始めた嚆矢は、早稲田がちょっと早いかのような記述もあるが、 講師陣の豪華さからみて、実質的に中央大学だが。 「MARCH」なる病人ワードを発明したのは旺文社出身の早稲田の「ナントカ学部」卒の爺さん。 旺文社は、中央大学理事長だった東映の大川博と テレビ局(日本教育テレビ→テレ朝の前身)をつくったが、いろいろあって追い出された。 中央大学に怨みがあってもおかしくない。 旺文社はインチキ偏差値商売のほぼ元祖(旺文社模試得点ランク)。 大前研一によれば、無法偏差値ビジネスを始めたのは、早稲田関係者で、 学園紛争の主人公だった日大潰しが目的の一つだの何だのらしいが、 早稲田みたいに、名称を「第一」「第二」とハッキリ明示させたり、 シャガクにぶちこんで対策をした学校と違って、 二部夜間部を併設していた大学は圧倒的に不利だった。 (予備校に合否結果を申告する受験生の存在も怪しい) 数学必修だった慶応とかも、当初は下層ランクだった。 (その後、慶応は「偏差値操作」に執念を燃やした)
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