- 【早慶上理】2019年私大志願者数速報スレ【GMARCH】
370 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 13:54:04.41 ID:D7yrtwnV - >>331
東京大学野球部 Since1919 「赤門軍団」の軌跡 https://www.sportsclick.jp/magazine/mook/1091/index.html 東京六大学加盟の真相 1925年秋 東大を後押ししたのは明大・内海氏と早大・飛田氏 今春[2014年]までにリーグワーストを更新する76連敗という不名誉な記録ばかりが クローズアップされているが、そもそも東大がいなければ、東京六大学野球は 成立していない。こうした歴史的事実を知る人は少ないのではないだろうか。 1919年に創部した東大野球部は、25年秋に東京五大学野球連盟に加盟。同時に、 東京六大学野球連盟が発足した。その背景について、現役時代は主将として活躍し、 その後助監督、監督を歴任した東大・竹田晃名誉教授はこう説明する。 私が東大に入学したのが1949年ですから、六大学が発足して ずっと後のことです。もう加盟当時のことを知っている先輩が誰も おられませんので、私が知っている限りのことをお話したいと思います。 日本の野球で早大、慶大が台頭する前から、当時の旧制高校が非常に熱心に 野球をやっていました。東大の流れをくむ一高をはじめ、二高(東北大)、 三高(京大)という、いわゆるナンバースクールですね。中等学校の優秀な選手、 あるいは素人を徹底的に鍛えて、レベルの高い野球をやっていたんです。 特に一高は早慶と対戦して、勝ったり負けたりするほどの力がありました。 1914年に早慶明の三大学野球連盟が発足。17年に法政、21年に立教が加わり 五大学野球連盟となりましたが、旧制高校から東大に優秀な部員が集まってきた ことから、『東大を五大学に加入させてはどうか』という機運が高まったのです。
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- 【早慶上理】2019年私大志願者数速報スレ【GMARCH】
371 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 13:54:32.49 ID:D7yrtwnV - >>331
東大加盟の後押をしたのは、明大部長の内海弘蔵と早大監督の飛田穂洲(ともに野球殿堂入り)だった。 当時、東大の監督を務めていた芦田公平さんは一高のOBで国文学者でしたが、 明大の内海さんも同じ国文学者ということで親交がありました。また飛田さんは 一高の野球が日本の野球の原点であり、一高の野球精神がアマチュア野球精神の 原点だと強い信念を持っておられた。それで、一高の野球を継承する東大に加わって もらうことが日本の野球のためにも、人気のためにもなるということで、内海さんや 飛田さんが非常に熱心に理解を示してくださったようですね。 1925年4月に五大学の運営会議で東大の加盟が認められ、同年の秋季リーグ戦から参戦した。 24年に一高から東武雄さんという好投手が東大に入学してきた。加盟が認められた 事情として、『東がいれば早慶とも対等に戦えるだろう』ということもあったようですね。 実は、25年秋に加盟する前、その年の春はテストシーズンという位置づけでした。そのときは 立教から1勝を挙げた。それを経て、秋には正式にリーグ戦を戦うことになります。初試合は 法政が相手で、東さんが本塁打を放つなど投打に活躍して、4対1で初勝利を手にしたのです。
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- 【早慶上理】2019年私大志願者数速報スレ【GMARCH】
372 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 13:56:16.40 ID:D7yrtwnV - >>331
Wikipediaによれば中央大学が六大学入りを断ったのは 東京帝大との法典論争があったからだと記されている。 じゃあ、なぜこれらのリーグに加盟しなかったのかな? 都下専門校新リーグ(大正13年) 東京商大、國學院大、専修大、東京農大、東洋協会大、宗教大(後の大正大) 東京新大学リーグ(大正14年) 東京商大、國學院大、日本大、専修大、東洋大、宗教大 大学専門学校野球リーグ(大正15年) 帝大農学部、國學院大、日本大、専修大、東京農大、大正大、駒澤大、東京高工、 東京高等工芸、早大高等師範部、高千穂高商、明治学院、青山学院、上智大、東洋大、 ・・・中央大学には野球部がなかったんじゃないの?
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745 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 13:59:26.12 ID:D7yrtwnV - >>744
『学界異聞』 大塚虎雄 (先進社・昭和6年) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464521 東洋大学 哲学館時代から騒動は名物 東洋大学の学長の任期満了となって、中島徳蔵氏の後任学長は高楠順次郎博士と決定した。 同時に理事の詮衡が問題となり、この理事の椅子の争奪戦から、一騒動もち上がったことは、 既にニュースとして新聞紙上を賑わしたことだった。 井上円了博士の哲学館時代から東洋大学といえば、 学校騒動にかけては敢えて他校にヒケをとらないところだ。 前学長中島氏その人が前々学長境野黄洋氏排斥運動に参画し、 遂にその椅子を奪い取った人物ではないか。 境野前々学長は東洋大学を退いてから「隋唐以前の支那仏教」で文学博士になった。 それ以前においても学殖の点では、すでに定評があった。学長としても相当に人望があったのだが、 幕僚某氏に災いされて行き詰まり、反対派の台頭を力で圧迫しつつ、無理強いに押し通そうとしたために 遂に瓦解してしまったのだ。今、京大で涼しい顔をしている和辻哲郎氏などは、排斥の急先鋒として 学生を前に熱弁をふるったものである。時あたかも東洋大学は、新大学令による昇格を目前に控えていた。 そして境野学長が苦心して集めた昇格資金は、ことごとこの騒動のために消費されてしまった。 訴訟事件の弁護料だけでも、何万円かがケシとんだと噂されている。
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200 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 14:06:58.79 ID:D7yrtwnV - 『学界異聞』 大塚虎雄 (先進社・昭和6年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464521/28 東洋大学 哲学館時代から騒動は名物 東洋大学の学長の任期満了となって、中島徳蔵氏の後任学長は高楠順次郎博士と決定した。 同時に理事の詮衡が問題となり、この理事の椅子の争奪戦から、一騒動もち上がったことは、 既にニュースとして新聞紙上を賑わしたことだった。 井上円了博士の哲学館時代から東洋大学といえば、 学校騒動にかけては敢えて他校にヒケをとらないところだ。 前学長中島氏その人が前々学長境野黄洋氏排斥運動に参画し、 遂にその椅子を奪い取った人物ではないか。 境野前々学長は東洋大学を退いてから「隋唐以前の支那仏教」で文学博士になった。 それ以前においても学殖の点では、すでに定評があった。学長としても相当に人望があったのだが、 幕僚某氏に災いされて行き詰まり、反対派の台頭を力で圧迫しつつ、無理強いに押し通そうとしたために 遂に瓦解してしまったのだ。今、京大で涼しい顔をしている和辻哲郎氏などは、排斥の急先鋒として 学生を前に熱弁をふるったものである。時あたかも東洋大学は、新大学令による昇格を目前に控えていた。 そして境野学長が苦心して集めた昇格資金は、ことごとこの騒動のために消費されてしまった。 訴訟事件の弁護料だけでも、何万円かがケシとんだと噂されている。
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- 旧制の学制/大昔凄かった学校Part9
12 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 14:32:45.37 ID:D7yrtwnV - 『学界異聞』 大塚虎雄 (先進社・昭和6年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464521/28 東洋大学 哲学館時代から騒動は名物 東洋大学の学長の任期満了となって、中島徳蔵氏の後任学長は高楠順次郎博士と決定した。 同時に理事の詮衡が問題となり、この理事の椅子の争奪戦から、一騒動もち上がったことは、 既にニュースとして新聞紙上を賑わしたことだった。 井上円了博士の哲学館時代から東洋大学といえば、 学校騒動にかけては敢えて他校にヒケをとらないところだ。 前学長中島氏その人が前々学長境野黄洋氏排斥運動に参画し、 遂にその椅子を奪い取った人物ではないか。 境野前々学長は東洋大学を退いてから「隋唐以前の支那仏教」で文学博士になった。 それ以前においても学殖の点では、すでに定評があった。学長としても相当に人望があったのだが、 幕僚某氏に災いされて行き詰まり、反対派の台頭を力で圧迫しつつ、無理強いに押し通そうとしたために 遂に瓦解してしまったのだ。今、京大で涼しい顔をしている和辻哲郎氏などは、排斥の急先鋒として 学生を前に熱弁をふるったものである。時あたかも東洋大学は、新大学令による昇格を目前に控えていた。 そして境野学長が苦心して集めた昇格資金は、ことごとこの騒動のために消費されてしまった。 訴訟事件の弁護料だけでも、何万円かがケシとんだと噂されている。
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- 【捏造王】東洋大学は韓国に似ている【妄想王】
74 :エリート街道さん[]:2019/01/18(金) 14:39:27.33 ID:D7yrtwnV - 『学界異聞』 大塚虎雄 (先進社・昭和6年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464521/28 東洋大学 哲学館時代から騒動は名物 東洋大学の学長の任期満了となって、中島徳蔵氏の後任学長は高楠順次郎博士と決定した。 同時に理事の詮衡が問題となり、この理事の椅子の争奪戦から、一騒動もち上がったことは、 既にニュースとして新聞紙上を賑わしたことだった。 井上円了博士の哲学館時代から東洋大学といえば、 学校騒動にかけては敢えて他校にヒケをとらないところだ。 前学長中島氏その人が前々学長境野黄洋氏排斥運動に参画し、 遂にその椅子を奪い取った人物ではないか。 境野前々学長は東洋大学を退いてから「隋唐以前の支那仏教」で文学博士になった。 それ以前においても学殖の点では、すでに定評があった。学長としても相当に人望があったのだが、 幕僚某氏に災いされて行き詰まり、反対派の台頭を力で圧迫しつつ、無理強いに押し通そうとしたために 遂に瓦解してしまったのだ。今、京大で涼しい顔をしている和辻哲郎氏などは、排斥の急先鋒として 学生を前に熱弁をふるったものである。時あたかも東洋大学は、新大学令による昇格を目前に控えていた。 そして境野学長が苦心して集めた昇格資金は、ことごとこの騒動のために消費されてしまった。 訴訟事件の弁護料だけでも、何万円かがケシとんだと噂されている。
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