- 旧制の学制/大昔凄かった学校part5 [無断転載禁止]©2ch.net
911 :エリート街道さん[]:2017/04/19(水) 00:36:26.99 ID:xgnNxVMl - >>900
ここの生徒は耳と耳の間が風を通す洞穴になっていて、風と一緒に先生の言葉も 通過させてしまう。然し先生はそんなことを気にかけない。先生は喋るために 月給をもらっているが、教えるために月給をもらっていないからであった。 こんなにあっさりしたクラスに、先生の言葉を真剣にきいている生徒がいたらどうだろう。 実際笑止で、気の毒なほど惨めなものだ。耳と耳の中間の風洞に壁を立て、先生の言葉を くいとめようと必死にもがいているのである。なんのためだか、てんで意味が分らない。 一目見て、これはもう助からないほど頭の悪い奴だという印象を受けてしまうのである。 第一こいつは何のために学校へ来ているのだろう。あまりのことに――いや、まったくだ。 物質の貧困よりも、このような精神の貧困ほど陰惨で、みじめきわまるものはない。 そこで先生は泣きだしたいほどがっかりして、学生の本分とは何か、とか、学校の精神は何か、 もっと正々堂々たれ、惨めであるな、高邁(こうまい)なる精神をもて、そんなことを口走りたくなるのであった。 即ち栗栖按吉がこのようなたった一人の惨めな生徒であったのである。 尤(もっと)もこんな男でも、たったひとつ効能のあることが分ってきた。というのは、涅槃大学校の 印度哲学科というところは、時々先生がわざわざ三十分も遅れたあげく教室へ出向いてくるのに、 生徒の影がひとつもないということがあるのであった。即ち坊主の子供達は就職の心配がないのであるし、 世襲の職業に情熱や興味を持っていないからなのである。時間制の月給をいただいていらっしゃる先生達は、 人のいない教室に四五十分もうたたねしたり鼻唄うたったりしながら風をひいたりするのであった。 ※坊主の子供達は就職の心配がない=だから東洋大学は民間企業への就職力が弱かった ※時間制の月給をいただいていらっしゃる先生達=当時の東洋大学も時間給の講師が多かった ・・・これが自称「白山の哲学」の東洋大学ですか。
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