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エリート街道さん
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412 :エリート街道さん[sage]:2017/04/19(水) 23:43:24.44 ID:jeMKchdA
一般的には延床面積をもって大きさを考慮するのであろうから、
その観点から最大級かどうか検討してみた

約82,406u 帝京大学板橋キャンパス大学棟
約62,283u 帝京平成大学中野キャンパス本館
約57,582u 東京工科大学蒲田キャンパス3号館
約53,067u 明治大学リバティタワー
約41,811u 日本大学三軒茶屋キャンパス1号館
・・・
約24,869u 駒澤大学開校130周年記念棟
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413 :エリート街道さん[sage]:2017/04/19(水) 23:53:56.01 ID:jeMKchdA
東洋大学は昭和3年第1回の供託金25万円の供託をおこなった。そして2回目以降は毎年度それぞれ
9万円・8万円・8万円ずつを供託し昭和6年度で50万円の供託を完了する予定であった。しかしこれを
実行することはできなかった。そのため大学は昭和6年7月23日、基本財産供託金の分納期の変更願を
文部大臣宛に提出し、同年9月17日その認可を得た。これにより残り25万円の分納は昭和6年度から
同10年度までは毎年1万円ずつ、昭和11年度から同15年度までは同じく4万円ずつを供託することに
変更され(『資料編 T上』 332頁)、昭和6年度以降10ヵ年にわたる分納が認められた。東洋大学は
最初の昭和6年度は申請どおりの1万円を供託することができた。(『東洋大学百年史 通史編T』 1037ページ)

しかし、これ以後再び大学は文部省に供託金を提供することができなくなり、昭和9年度には
文部省からこの供託金を下戻を受けることになった。下戻を受けたのは、文部省に供託してある
公債のうちの第2回帝国4分利公債額面5万円であった。(中略)したがって文部省に供託している
有価証券の額面は26万円から21万円へとかわった。昭和9年7月、大学は再び残り29万円の
供託金分納期の変更願を文部大臣宛に提出した。この変更願は昭和9年12月13日付で認可を受け、
次に示す方法に変更されることになった。

  自昭和7年度至昭和9年度   猶予
  自昭和10年度至昭和14年度 毎年度1万円
  自昭和15年度至昭和20年度 毎年度4万円  (『資料編 T上』 332頁)

これで昭和7年度から同9年度までは供託猶予とし、かつ最終供託期を昭和20年度までとする
長期にわたる分納が認められた。しかしこれも大学は履行することができず、昭和17年になって
ようやく5000円を供託することになる。(『東洋大学百年史 通史編T』 1038ページ)

供託金問題に関しては東洋大学の場合、結局全供託金額の半分にも満たない状態のまま戦後
を迎えたのである。
(『東洋大学百年史 通史編T』 1135ページ)


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