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410 :エリート街道さん[]:2017/04/19(水) 23:23:58.33 ID:N9MRzpGO - >>332
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411 :エリート街道さん[]:2017/04/19(水) 23:24:38.56 ID:N9MRzpGO - >>332
この供託額は1大学50万円のほか、1学部を増すごとに10万円を加えるものであり、 これを大学の認可を受けてから3週間以内に供託しなければならぬというものであった。 当時大半の私立大学は授業料収入を最大の財源とし、敷地、校舎等の不動産を除けば 基本財産を殆ど持たなかったらしい。例えば法政大学の大正6年度の経常費は僅かに3万円だったと 言われる程の実情を見ても、これは私立大学撲滅策だと言わざるを得なかったのである。 (『早稲田大学百年史 第三巻』 41-42ページ)) 各大学では供託金募集に四苦八苦していた。明治大学でも校友、在学生を中心に募金運動が 大いに盛り上がり、申し込み金額だけは膨大な額に達したが実際の払い込みははかばかしくなかった。 本大学でも三井八郎右衛門から3万円、三菱合資会社1万5千円、住友吉左衛門3千円、台湾銀行2千円の 合計5万円の財界・企業からの募金もなくはなかったが、これは払い込み金額の25.6%にすぎず、 早稲田大学の70%強とは大きなひらきがあった。明治大学を支持したと見られる弁護士集団にしても、 彼らは実はサラリーマンであり供託金埋め合わせのために補助金交付の建議はできても、 自らが金銭的にバックアップすることは無理があったのである。 (『明治大学百年史 第三巻 通史編T』 696ページ)) 同志社の場合は、それまでの経常支出13万円に対して、法学部、文学部の2学部分の供託金 60万円は相当の多額のものであり、加えて、相応の設備充実や特に専任教員の増員は、 第一次世界大戦後の諸物価高騰の影響もあって、大学の経営を著しく圧迫するものであった。 事実、「大学令」による大学昇格が遅れた関西学院大学では、学生らの熱心な運動にもかかわらず、 学院を宗教的に指導するアメリカの学院連合教育委員会の財政的理由によって供託金を準備できず、 即座の昇格は断念せざるを得なかった(昇格は1932・昭和7年、『関西学院百年史 通史T』)。 供託金が私立大学にいかに重くのしかかる問題であったかを物語る事例の一つといえよう。 (『立命館百年史 通史一』 271-272ページ))
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