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2 :エリート街道さん[]:2015/09/19(土) 21:17:01.40 ID:SjP3VGlw - 戸塚球場
神宮球場ができる前、あるいはできてからもしばらくは各大学の球場での試合が 併用されていました。六大学はそれぞれに自前の球場を持っており、 その近くに合宿所を設けて寝食をともにし、練習に励み、試合に臨んでいたのです。 そんな球場を紹介すると、早稲田は戸塚、慶應は新田(当初は三田綱町)、明治は駒沢、 法制は中野、立教は東長崎(リーグ参加後に着工)、東大は駒場です。 ビジターがホームチームのグラウンドを訪れて試合をするわけですが、 交通の発達もまだまだで、隊伍を組んでの行軍のようだったとも聞きます。 神宮の杜は各校のホーム・グラウンドの臍のような位置にあったので、狙われたのです。 各校のホーム・グラウンドの中で、格別の歴史を残したのが早稲田大学の戸塚球場です。 というのも、日本初のスポーツのテレビ中継がここから早稲田大学の電気実験室まで とどけられた(1932年6月30日)からです。また、夜間照明設備による 日本初のナイター試合が行われた(1933年7月10日)のもこの球場です。 (佐藤 文明, 竹内 久普『六大学野球―六大学はなぜ六大学なのか… (フォー・ビギナーズ) 』 現代書館、2003年) 昭和8年7月10日戸塚球場にてわが国最初の夜間試合が行われたが、 多くの観衆が殺到して球場外に溢れる程の盛況であった。 この照明は早稲田理工学部の植田先生が研究的に建設したもので、 当時としてはまさに画期的なものと云える。 (森茂雄、宮武三郎、天知俊一、苅田久徳、好村三郎、神田順治 『六大学野球部物語』 ベースボール・マガジン社、1956年)
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220 :エリート街道さん[sage]:2015/09/19(土) 21:18:02.53 ID:SjP3VGlw - >>71-72
戸塚球場 神宮球場ができる前、あるいはできてからもしばらくは各大学の球場での試合が 併用されていました。六大学はそれぞれに自前の球場を持っており、 その近くに合宿所を設けて寝食をともにし、練習に励み、試合に臨んでいたのです。 そんな球場を紹介すると、早稲田は戸塚、慶應は新田(当初は三田綱町)、明治は駒沢、 法制は中野、立教は東長崎(リーグ参加後に着工)、東大は駒場です。 ビジターがホームチームのグラウンドを訪れて試合をするわけですが、 交通の発達もまだまだで、隊伍を組んでの行軍のようだったとも聞きます。 神宮の杜は各校のホーム・グラウンドの臍のような位置にあったので、狙われたのです。 各校のホーム・グラウンドの中で、格別の歴史を残したのが早稲田大学の戸塚球場です。 というのも、日本初のスポーツのテレビ中継がここから早稲田大学の電気実験室まで とどけられた(1932年6月30日)からです。また、夜間照明設備による 日本初のナイター試合が行われた(1933年7月10日)のもこの球場です。 (佐藤 文明, 竹内 久普『六大学野球―六大学はなぜ六大学なのか… (フォー・ビギナーズ) 』 現代書館、2003年) 昭和8年7月10日戸塚球場にてわが国最初の夜間試合が行われたが、 多くの観衆が殺到して球場外に溢れる程の盛況であった。 この照明は早稲田理工学部の植田先生が研究的に建設したもので、 当時としてはまさに画期的なものと云える。 (森茂雄、宮武三郎、天知俊一、苅田久徳、好村三郎、神田順治 『六大学野球部物語』 ベースボール・マガジン社、1956年)
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