- 【自転車で】俺様自転車鉄道【電車ごっこ】
104 :回想774列車[sage]:2011/12/10(土) 01:57:21.76 ID:MkT1B/CI - 爺婆の家が北海道にあり、毎年遊びに行くたび一人自転車鉄道をやった。
程良く田舎なので色々なシーンがあり「一人孤独に」楽しんだ。 爺婆家は街の外れの川の土手の下にあり、さしずめ行き止まりの終着駅。 しかし川方面行きと市街地方面行きがあり、函館のような性格を持つ起点駅だった。 爺婆駅から非電化単線(未塗装の砂利道)を北東に200m行くとすぐに道内屈指の難所である50‰急勾配にして直線約100mの爺婆峠に差し掛かり、 ここを抜けるために一両編成のチャリ鉄はその日一番の排気量で一気に登りきる。 途中で止まってしまうとまず上まで行けないので、かなりの集中力が必要となる。 峠を越えれば後はひたすら川沿いを走り、やがて川を離れて山林の奥へ進んで行き、走行不能となる地点が終点の山林駅。 折り返し爺婆駅へ。停車駅はその日の気分で。上り線の爺婆峠は勾配を下るだけなので楽だが、速度調整に気を遣う。 続いてチャリ鉄は市街地駅舎駅行きの下り特急にそのまま運用。 出発後数分で電化複線となり、無数の駅を通過。家は全て駅だから市街地は駅だらけなんだな。 それらの駅を次々に高速で通過した後、農協駅に到着。缶ジュースで一杯やった後、市街地駅舎駅までラストスパート。 「本物の」列車を見送った後、折り返し上り線爺婆駅行き特急となり、ノンストップで終着駅へ。 午前の部は一旦これで終了。 つくづく暗い子供だったなあ。しみじみ
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- 北海道の昔の鉄道の思い出を語ろう6!!
126 :回想774列車[sage]:2011/12/10(土) 15:30:12.07 ID:MkT1B/CI - ■20〜30年前の富良野線(1)■
高架線など考えも及ばなかった頃の旭川駅。 函館から早朝出発の特急「北海」に乗り、約6時間。 真夏日のホームへ降り立つと、さすが道内2位の都市を感じさせる広々とした駅構内。 だが電化区間の終点でもあり、日中の古びたホームには人もまばらだ。 ここまで運んでくれたキハ80系の美しい老体に別れを告げ、階段を下り薄暗くひんやりとした地下連絡通路へ。 長旅の疲れを和らげるため、ひとまず改札口のある1番線へ向かう。 そこにはさらに古びた気動車がやかましいエンジン音を轟かせながら横付けされていた。 記憶が正しければ石北本線上川・北見方面行きの普通列車だっただろうか。それとも位置的に宗谷本線列車だっただろうか。定かでない。 改札を出ると待合室がある。ホームよりは人が沢山いるが、喧騒はない。皆のんびりとテレビを見たりお喋りをしたり。 時間が止まっている様で、なんだかホッとしてしまう。 外に出ると、タクシーやバスが行き交う駅前ロータリーの向こうに整然とした堂々たる街並みが続く。空も道路も広いので、息苦しさは皆無だ。 駅に隣接したビル内で立ち寄ったごく普通の定食屋さん。注文したラーメンは驚くほど旨い。札幌など目じゃない。疲れが一気に吹っ飛ぶ。
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127 :回想774列車[sage]:2011/12/10(土) 15:54:41.38 ID:MkT1B/CI - ■20〜30年前の富良野線(2)■
少し旭川の街をぶらぶらしてから再び駅へ。一時間に約一本の富良野行き普通列車の待つホームへ急ぐ。 先ほどの駅構内地下通路を今度は反対方向へ歩き、一番端の突き当たりまで進んで階段を上る。富良野線のホームだけ離れているので結構歩く。 ホームに上がると、そこから見える景色は雑草が生い茂り、線路を挟んだ反対側は同じ旭川とは思えないほどに荒れている。 富良野線の車両も相当にお疲れ気味の気動車だが、三両編成の時もあったように思う。定かではない。 車内は意外に混んでいる。帰宅する学生なども利用するためだ。 富良野線富良野行き普通列車は、そのけたたましい爆音の割には前に進まない。北美瑛のあたりまで直線区間が多いが、実に慎重にゆっくりと走行する。 富良野線といえばラベンダーだが、それは美瑛のあたりからで、そこに辿り着くまではただひたすらに、割と開けた平野部を国道に沿って走り、実に印象の薄い各駅に停まっていく。西御料、西聖和、西瑞穂、西神楽…なぜか西だらけだ。(順不同) 西神楽が旭川市街の切れ目といったところで、ここを過ぎると沿線に建つ家が急激に少なくなる。 しかし平野はまだ続き、カーブは増えるものの景色としてはまだ物足りない。富良野国道を併走する自動車に次々と抜かれていく単線列車の姿に一番の面白味を感じる区間でもある。
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128 :回想774列車[sage]:2011/12/10(土) 16:22:50.47 ID:MkT1B/CI - ■20〜30年前の富良野線(3)■
北美瑛を過ぎたあたりから山林が増え、そばを走っていた道路も消えていく。 美瑛は富良野線途中駅の最大の要所であり、ここで大勢の人達が下車する。美瑛止まりの列車も多く、ここから富良野までは乗客もぐっと減り、最も富良野線を堪能できる区間かもしれない。 美瑛駅では一両切り離していたかどうか、ここも記憶が定かでないが、とにかくここから上富良野までの二駅間が富良野線最大の峠といえるだろう。 とは言っても緩やかなもので、列車はさらに速度を落としながら危なげなく山林の合間を縫って行く。もうしばらく道路も駅も見てないなあと思った頃に富良野線の秘境、美馬牛に到着。列車の窓から覗く限りでは、この様な場所に駅があること自体が当時は驚きであった。 美馬牛を発車すると、富良野線の最長距離である駅間をゆっくりとひた進む。ここは美瑛〜美馬牛間よりも更に険しい地帯である。 東京を出発して早二十四時間、同じ日本とは思えない絶景を目の当たりにした時、北海道に来たことを改めて実感する。 やがて山林が徐々に消えて行き、だいぶ前に別れた右手の富良野国道と再会、北海道の原野が広がっていき、ぽつぽつと家並みが見え始める。 左手の遥か向こうには十勝岳、その裾野に広がる広大なラベンダー畑…。もうすぐ爺ちゃんの住む上富良野に到着だ。
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129 :回想774列車[sage]:2011/12/10(土) 16:58:28.96 ID:MkT1B/CI - ■20〜30年前の富良野線(4)■
上富良野は富良野線途中駅で美瑛に次いで二番目の町で、正午にはサイレンが鳴り、車を走らせればラベンダー畑や十勝岳もすぐだ。典型的な田舎町である。 上富良野町の当時の人口は1万強。美瑛町より僅かに少ない程度である。以前は釧路行き急行「狩勝」も停車した。(現在同列車は旭川〜富良野間のみ普通列車として運行している。) 上富良野から富良野までの富良野線は、再び平野の中をただひたすらに真っ直ぐ走り、その間の要所は中富良野町の中富良野駅くらいで、残りは近年新設されたラベンダー畑臨時駅を除けば利用客が数人程度といったところの無人駅のみである。 かれこれ二十年間、この地を踏んでいないが、最近ではノロッコ号などという観光列車が走っているようで、久しぶりに旅行関連本を見たら、なんと外国人客も多いみたいだ。 20年前当時でさえ考えられなかった事だ。普通列車も可愛げなペイントが施されているようで、あの頃の古びた車両の雰囲気が消えてしまったのが無念である。 さらにGoogleEarthで航空写真を確認してみると、数十年前、子供心に大峠だと感じていた美馬牛〜上富良野間は、実際には線路に沿って森林が残っているだけであり、すぐそばには田んぼが果てしなく広がっていた─。 そこは山林ではなく、ちょっとした丘陵の林だった。少しショックではあったが、自分の滑稽さが可笑しくも感じられた。 二十年振りに俄かに復活した鉄道魂が消えないうちに、あの地をまた訪れてみようと思う。 僕は今でも、広大なラベンダー畑よりちっぽけな気動車が大好きだ。 終
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107 :97[sage]:2011/12/10(土) 17:42:38.50 ID:MkT1B/CI - >>106
キ…気動車(ディーゼル) ロ…ロング ハ…ハイエース なので、キロハです。 車でいうところの バンは貨物、 ワゴンは乗用 が一般的ですが、いずれも「おれ鉄」用に改造されるので、元の車が何なのか分からなくなっているのが現状です。 因みに「おれ鉄」に貨物列車はまだ存在しません。 なぜなら「おれ鉄」社長が貨物に興味が無いからです。 貨物部門はいずれ気概のある新鋭が新たに会社を立ち上げるでしょう。
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