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池原あゆみ44歳
俺を鉄ヲタにしたコロタン文庫13私鉄全百科
古き良き時代の近鉄電車
修学旅行どこ行った?
【はやたま】紀州夜行【南紀】
【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
国鉄がいかにクソだったか語り合うスレ

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俺を鉄ヲタにしたコロタン文庫13私鉄全百科
274 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 00:06:27.11 ID:11i0500z
もともとは、95年ショタコミブーム(95年〜99年頃)のときに買った、
「男の子ポルノコミック」が、部屋に200冊以上あって、
01年になって、近所の子供を部屋に入れたとき、
「これはまずい」と、バタバタと片付けたの。

最近になって、積み上げた下から出てきたのが、
コロタン文庫の「国電全百科」なんだけど、
もう一度、「今となっては貴重だから、きちんと保存しておこう」と思い、
「ショタコミ」のダンボールの中に「古い鉄道本」が混じっていないか、
もう一度、探し切っておいた。

新たに出てきたもの。
「私鉄全百科」、「私鉄特急全百科」。
ケイブンシャ「鉄道もの知り大百科」欠落あり。
秋田書店「鉄道大百科」。
実業之日本社「鉄道面白事典」(長谷川章)。
廣済堂「私鉄のわかる本」(慶應義塾大学鉄研)。
阪急電鉄総務部広報課「阪急の電車」。

いずれは処分する予定のショタコミと一緒に処分しなくて良かった。
古き良き時代の近鉄電車
863 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 00:56:26.43 ID:11i0500z
いや、僕が9歳や10歳のときは「国鉄新快速」と「近鉄伊勢急行」と、
「萌え」の感覚は同レベルだったよ。
あのボックスシート、確かに狭かったけど、
子供の頃は気にならないし、
成人した頃には、子供の頃のような「ボックス満席」は稀になって、
ボックス占有が頻繁だった。
よく上本町駅のスタンドで売っていたコーヒーを持ち込んだものだ。

113系と違って、ロングシートがなく、
オールボックスシート、というのが重要なのよ。
テーブルに栓抜きも付いていたしね。
それに当時は種別は「急行」だ。
鶴橋の次は大和高田まで無停車。スピードも速く、本物の「急行」。
椅子そのもののキャパさえ気にならなかったら、
十分「国鉄急行型」の気分。
修学旅行どこ行った?
154 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 01:45:19.52 ID:11i0500z
●地域 大阪市
●年度 昭和56年度
●学校種別 公立中学校
●行き先 山口県
●利用した列車 新幹線0系、行きが固定座席、帰りが転換座席。
●その他、
1日めの宿舎での集団入浴で、
クラスメイト男子の全裸を見てコーフンしてしまって、
その晩、寝ながらパンツの中に射精してしまいました。
俺を鉄ヲタにしたコロタン文庫13私鉄全百科
275 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 02:49:05.47 ID:11i0500z
273さん、回答ありがとうございます。
117系は「高級な雰囲気」かあ〜。
確かに当時の国鉄車両のことを考えたら、突出したものはあった。
117系に乗ったら、「気分は特急」だったもんね。

201系は「大幅なアコモの改善」だけど、
当時は国鉄が暖色系の内装ならなんでもアコモ改善の時代だったよね。
個人的には(関西人なので)暖色系が好きなんだけど、
平成になって、東日本の201系の座席はライトブルーになるわ、
東日本新車の椅子はブルーだわで、
当時の「暖色系」は単なる流行に過ぎなかったのかな、とも思う。
【はやたま】紀州夜行【南紀】
175 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 03:08:13.73 ID:11i0500z
紀勢西線夜行普通列車に乗ったのは12系の時代でした。
でも、寝れなくて・・・あまり良い思い出ではなく、
それより前に乗った、
昼行の和歌山市→新宮の普通列車(これも12系)の方が、印象深いなあ。

当時開店したばかりの喫茶店が紀伊田辺の駅前にあって、
現在も営業中。
2年前に行って、「今年で25年めですね」と言ったら、
マスターが笑っていた。
【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
222 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 03:38:50.62 ID:11i0500z
谷山浩子って、オールナイトは知らないのに、
高校卒業のとき、なぜか「ねこの森には帰れない」を聴く機会があって、
最後の「本日は雪天なり」を聴いて、
泣いて泣いて涙が止まらない・・・。

ちょうど、進学校での「大学受験だけがすべてです」の環境の中で、
大学進学が決定したら、もう心に穴が開いた状態で、
その心の隙に入り込んできた音楽だった。

本題の「いい日旅立ち」というと、昭和52年末〜昭和53年春を思い出す。
ヒットしていたのは昭和52年末で、
当時の小学生は歌謡曲追いかけが当たり前の時代だから、
単純に「テープ」に「エアチェック」したものである。

それと、ひたすら「旅情」というものを歌い続けたのが、
久保田早紀であることは、知られていない。
「異邦人」以外の音楽を知る者は、「異邦人」を聴いた者の1%もいないのでは?
「見知らぬ人でなく」(昭和57年)など、
僕にとっては大垣夜行のイメージソングなのだが。
国鉄がいかにクソだったか語り合うスレ
134 :池原あゆみ44歳[]:2011/09/04(日) 04:07:02.26 ID:11i0500z
国鉄時代の方が良かったのは、輸送サービスが「供給過多」であったこと。
現在のJRは、特に西日本に顕著なのだが、
とにかく、輸送サービスが「需要からすれば供給不足」である。

国鉄は「供給過多」で経営破綻に至った、という人がいるが、
そうではなく、国鉄破綻は「経営の意識の欠如」が原因である。



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